少人数だったり
同友会だったり
みとりまちプロジェクトだったり
大人数だったり
カメラが壊れたり
飲み会だったり
ずーっと
ずーっと
zoomだった自粛期間を経て
徐々に動き始めた"まち"と人
で
父の日の早朝
お墓を掃除しながら感じた事
わざわざ足を運ぶ事の意義。。。
わざわざ新潟まで行ったり
会議はリモートでできる
web会議で議事は進む
実際、その会議のために
片道1時間も使って神戸まで行かなくても済む
もの凄く楽だ。
でも
全然面白くない。
客観的に考えると
通信手段が一つ増えただけだ
手紙、伝書鳩、電話、ファックス、メール、SNS、
そしてweb会議(テレビ会議)
だ。
コロナの前から
手紙には手紙の良さがあり
電話には電話の良さがあり
ファックスにはファックスの便利さがあり
メールにはメールの良さがあり
SNSにはSNSの良さがあり
でもやっぱり
会いに行くし
集まるし
足を運ぶし
時間を割く
同友会で頂いた名言
「距離は学びに比例する」
移動距離が長ければ長いほど
そこで得られる学びも深くなる
と言う意味。
この「距離」は言い換えると「時間」だ。
例えばセミナー
同じセミナーでも
地元で受けるのと
時間とお金を使って東京まで受けに行くのとでは
「学ぼうとする覚悟と姿勢が変わる」
例えば仕事
郵送で済むものを
わざわざお届けする
ついでで良いと言われても
わざわざそのためだけにお伺いする
例えばランチ
「お昼一緒に食べようよ」って
5分で会える友達と
1時間かけて来てくれる友達と
用事で来たついでに寄ってくれるのと
そのためだけに来てくれるのとでは
やっぱり気持ち的に違うと思う。
移動に使う時間は
相手に対する思いに比例するのではないだろうか
敢えて逢いに行く意味が
敢えて時間をかけて行く意味が
改めて見直される機会になる(と思う)
きっとそこには「人と逢う喜び」があるんだ

















