「息を引き取る」と言う言葉の、間違いだけど間違いじゃない話し。 | 伊丹のおくりびと

伊丹のおくりびと

伊丹市の幸せ創造企業 速水葬祭二代目創業者 速水英城です。
色んな所で様々な人々に支えられご縁を頂き毎日を過ごしています。
感謝を込めて綴ります。

昨日の第6回伊丹まちなかバル

みなさん、どんな楽しみ方をしましたか?

おつかれさまです、速水です。




バルの事はあとでお話しします。




題名に書いた「息を引き取る」という言葉の事ですが

これ、

文法的には間違えてますよね。




正しくは「息が止まる」でしょうか…




そしたら、どうして「息を引き取る」と言うのでしょうか?




「息が止まる」というと

亡くなる人を主体にした言葉ですが

「引き取る」というと

誰か引き取る側の人が居ると言う事ですね。




言い換えてみると

「命が終わる」と言うと亡くなる人が主体ですね。




そうなんです、

「命を引き取る」

その命を引き取る人が主体の言い方ですね。

「命を引き受ける」と言うと解りやすいでしょうか…




単純に考えると

子孫としての子どもや孫が

亡くなる人の「命を引き受ける」、「引き継ぐ」

という意味が含まれた言葉なんです。




しかし、

その引き取る側の立場は子孫だけじゃなく

生前に縁を頂いた全ての人々を含むんだと思います。




実際に皆さんの周りで親やご先祖さん以外の人でも

亡くなった事、生前にご縁を頂いた事、

その人から教えを頂いたり影響をうけた人。

居られませんか?




人が生き、死んで行くのは

DNAだけの問題ではなく

社会的に人間関係を築いてきた

全ての人に関係する事だと思います。




そして、

その亡くなった人もまた沢山の人の命を

引き取り、引き受けて行きてきたと言う事。




引き受けた私たちも臨終の際には誰かに引き渡す命。

DNA以外にも教えや想い、

生きた証を誰かに引き取って頂くんです。




私たちが今生きていると言うのは

多くの命を引き取り繋いできた縁のお陰だと思うのです。




生きていると言う事は多くの人に世話になっていると言う事。

生きると言う事はその恩を返して歩き続ける事。




ご法事やお葬式は

故人様との縁を持ってその事を改めて確認する

感謝の儀式なんですね。




文中で出てきた「生前」と言う言葉にも繋がるのですが

その事については後ほどお話させて頂きます。




ブログランキングに参加中です。
「ちょっと強引じゃない?」
とお思いの方もクリックをお願いします!
        ↓
伊丹のおくりびと