次回、6週間後の通院では半年振りのマルクが予定されている。自分は骨が相当固いらしく、毎回先生が体重を掛けないと針が骨に刺さらない。マルクは何度やっても慣れるものじゃないし怖い。でも皆同じ経験をしている。自分だけじゃない、頑張ろう!
人間はなぜ生きるのか。産まれた時から死に向かって流れている時間は止められない。若い肉体もやがて老いて体の自由が利かなくなる日も来る。若くても病で予期せぬ死を迎えることもある。
先日近所に住む方が末期ガンで亡くなった。入退院を繰り返す闘病生活を送られていたが、願いが叶わず帰らぬ人となってしまった。最期は目も見えなくなり、体調が悪くなるからもう薬も飲みたくないと言っていたそうだ。そんな話を耳にすると、神様って残酷な事をするなと思ってしまう。病気になってからも治療を受けながら子供や孫の世話に追われるような立派な人にもこんな惨いことをする。身近な人の死を目の当たりにすると、生きていること、死ぬことについて改めて考えさせらせる。
日本も世界も社会は全ての人に平等ではない。我々は競争せざるを得ない社会に生きている。同じことをやっていても幸運、不運という違いもある。しかし競争があるからこそ豊かな生活があり、そのお蔭で医療も進歩しているのも事実なので、競争することの全てを悪いと思っている訳ではない。しかしさっき薬局へ薬を貰いに行った時に、自分の前にいたご年配の方が2千円弱がなくて薬を受け取れないでいる姿を見て酷く胸が痛んだ。今日薬を受け取れなかったことで、明日飲む薬が無い人もいるのだ。失礼かとは思いながらも、薬局を出たところで思わず薬代を渡してしまった。
所得や年齢に応じて医療費が掛からない制度もあるだろうから、薬局でもアドバイスしてあげて欲しいと思った。不平等な社会でも、せめて医療だけは平等に受けられるような社会であって欲しい。死だけは人生の成功者でもそうでない人にも平等に与えられるものだと思う。死を目の前にすれば、それまでの見栄や欲望などどうでも良くなってしまう。人間なんて弱いものだ。
自分は成功者でも何でもなく、決して立派な人間でもないが、「生きるチャンス」を貰ったことは事実だ。それをこれからの人生にどう生かしていくのかは自分次第だ。一度無くしたも同然の我が命だからこそ、少しでも誰かの役に立ちたいと願うことが今の自分にとってしっくりとくることなのである。それが今の自分にとっての「生きる意味」なのかも知れない。
