京都橘高校吹奏楽部との出会い 閑話休題 | hide4641のブログ

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明けましておめでとうございます。家内は新年会と称して外出中なのでチャンス到来。

橘と出会って半年が経ち様々な動画を視聴して来ました。どういう訳か子供時代の思い出が蘇って来て懐かしく感じる昨今です。

吹奏楽との出会いは小学生時代、父に連れて行って貰った早慶戦での応援合戦や海上自衛隊のパレード、学校課外授業でのオリンピックでしたが、振り返って見れば物心のつく幼年期に商店街で見た「チンドン屋さん」が原点なのかもしれません。太鼓と鉦を鳴らし旗指物を差して先頭を行く座長に続いて軍隊ラッパ、クラリネット、はたまた三味線、尺八など4、5人で練り歩く様にワクワクした記憶があります。

両親は共に公務員でしたが祖父母と私の弟を含め家族6人を養うには共働きせざるを得ず、母が中学校の音楽教師だったこともあり自宅で音楽教室を開いていました。この時代、公務員は無論のこと企業でも副業は禁止でしたから、個人名の看板ではなくNHKの音楽番組にも出ていた叔母の伝手で有名楽器メーカの名を貰い「○○○ピアノ音楽教室」(当時はこの手の個人教室が流行っていた?)。生徒・学生等は学校帰り、社会人は仕事帰りと年がら年中、宿題の最中や受験中までもお弟子さん達の練習がBGMに。

慣れて来ると弾いている曲の名前は分からなくても大方どこでつまづくかは分かっているので、たまに上手く弾いていると「おやっ?!」と逆に勉強に集中できなくなる始末。私が就職・結婚で実家を出た後は弟夫婦が教室を継いでいて、時々訪れては「やっぱりな」という感じ(笑)

私自身、幼年期にピアノだけでなくバイオリンも習っていたようで、弓をノコギリのように扱って先生に怒られる記憶だけ薄らと残っていますが、バイオリンは祖父の影響だそうです・・・祖父は戦前に上海航路客船の船長で、今では豪華客船には選任バンドが常駐しますが、当時は食事などの時のBGMとして船員が兼任演奏、祖父も違わず持ち運び便利なバイオリンでチークダンスの伴奏をしたと祖母が懐かしそうに話していました。ちなみに祖母も幾度か乗船したようですが、初めての時は東シナ海が大荒れで揺れる船内でテーブルにしがみつきながらの食事。またテーブルマナーでは、和食ならOKでも外国航路では洋食中心なので予め祖父からフォーク・ナイフ・スプーンの扱い方など聞いていたもののいざ実践となると、大和撫子さながら一口食べては箸を置く慎ましさ、すると途端に給仕が皿を持って行ってしまう!次々に出てくる皿も同じで、「その事は教えて貰っていなかった、結局一口づつしか食べられなかった」と笑いながら話していたのが今は昔・・・戦中は戦時徴用で兵員・物資の運搬に従事、揚子江通過中に流れ弾で負傷して退役、以後寝たきり不自由だった祖父の想いを孫に託したのかもしれません。

結局、小学校に上がってから病気を患い、医者から神経を使うピアノやバイオリンは良くないと言われてやめました。その後は体力作りに水泳、中学以降ラグビーに熱中した次第。(家内が帰宅したのでこれまで)では、ごきげんよう。