和を以て貴しの為す
わしは長尾景虎(ながおかげとら)です。
応永24年(1417年)4月、関東管領、上杉憲基(うえすぎのりもと)は、その職を辞して剃髪してのだ。
剃髪して、お坊さんになった?
この事を上杉房方(うえすぎふさかた)は領国の越後国で知った。
「父上!!」
房方の長男、朝方(ともかた)が慌てて房方の元にやって来た。
朝方「憲基様が関東管領職を辞して剃髪して伊豆三島に隠遁されたと報せがありましたぞ。」
房方「知っておる。」
朝方「えっ…その書状は…?」
房方は書状に目を通していたのだ。
房方「この書状、憲基からだ。」
朝方「なんと!…憲基様は何を言ってきてるのですか?」
房方「憲基は先の上杉禅秀(うえすぎぜんしゅう)の乱の一因の責任を感じていたのだ。それで責任を取って辞した…とある。」
朝方「責任…憲基様の責任ではありますまい!辞めなくとも…」
房方「鎌倉公方の足利持氏(あしかがもちうじ)様はなぜ認めたのか…?まだ若いの。」
憲基からの書状には房方が朝方には言わなかったことがもうひとつあった。
憲基の書状には『孔雀丸(くじゃくまる)を後継ぎにほしい』と書いてあったのだ。
房方「朝方、孔雀丸は今、何をしておる?」
朝方「孔雀丸⁈ …向かうの間で書物を見ておりました。」
房方は孔雀丸のいる居間に行った。
房方『また儒教の経典を読んでおるな…』
房方は目を細めて孔雀丸を見ていた。
足利持氏は禅秀の残党討伐に動いていたが、家臣の一色直兼(いっしきなおかね)に、
持氏「…やはり憲基がいてほしいの。憲基を呼び戻せ!!」
直兼「憲基を?今さら剃髪したものが必要ですか?」
持氏「そうだ。早く呼び戻せ!」
応永24年(1417年)6月、憲基は持氏に鎌倉に呼び戻され、関東管領職に再任したのである。
持氏「憲基!やはり、わしにはお前が必要だ。関東管領として鎌倉でわしに仕えてくれ!」
憲基は断ることは出来ずに引き受けたのだ。
鎌倉公方館跡
憲基は山内上杉家の家宰である長尾景仲(ながおかげなか)に、
憲基「景仲、わしには子がおらぬ。ゆえに万一の時のことは伯父の房方に頼んである。それを頼むぞ。」
景仲「房方様に頼まれたこととは?」
憲基「そなたには言っておく…」
憲基は自らの運命を感じていたのであろう。
応永25年(1418年)1月4日、憲基は27歳の若さで亡くなったのだ…。
つづく…
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