和を以て貴しと為す
わしは長尾景虎(ながおかげとら)です。
応永30年(1423年)3月、足利義持(あしかがよしもち)は子の義量(よしかず)に将軍職を譲った。
足利義量
義量さんはこの時、17歳で室町幕府の第5代征夷大将軍になったんだよ
義持は大御所となり、実権を握っていた。
義持は管領、畠山満家(はたけやまみついえ)、斯波義淳(しばよしあつ)、細川満元(ほそかわみつもと)、山名時熙(やまなときひろ)、赤松満祐(あかまつみつすけ)と三宝院満済(さんぼういんまんさい)を集めた。
義持「此度、集まってもらったのは関東での騒ぎについてだ。」
満家「持氏(もちうじ)様が京都扶持衆を討ち果たしておると…。」
満元「小栗満重(おぐりみつしげ)も討たれましたな。」
バシッ!!
義持は扇子を床に叩きつけた。
義持「持氏を攻めてみるか!?」
武将たちは顔を見合わした。
満済「すでに駿河の今川(いまがわ)殿は出陣の準備はできております。」
時熙「大御所様(義持のこと)、まずは関東周辺の武将に持氏討伐の命を出してみるのはいかがでしょう。」
義淳「今川の他に小笠原(おがさわら)や東北の武将らが大御所様の命を受ければ動くでしょう。」
義持「うむ…」
満祐「大御所様、わしは大御所様の命があれば関東討伐してまいりますぞ。」
赤松満祐
この赤松満祐さんが後にとんでもないことをするんだよね
義持は目を閉じ、考え…
義持「よし!今川、小笠原、武蔵の国人衆、東北の武将らに持氏討伐の命を出せ!!それでも歯向かってくるような京より軍勢を出す!」
足利義持
関東では小栗満重の討伐を果たし、持氏は意気上がっていた。
持氏「皆、よくやった。わしに歯向かう奴は片っ端から討ち果たす!」
しかし、上杉憲実(うえすぎのりざね)は喜んではいかなかった。
満重が残した言葉、
『足利が争う家、苦しむぞ』
憲実の頭には、この言葉が残っていたのだ…。
つづく…









