和を以て貴しと為す
わしは長尾景虎(ながおかげとら)です。
応永30年(1423年)、鎌倉公方足利持氏(あしかがもちうじ)は大軍を率いて自らも出陣した。
相手は小栗満重(おぐりみつしげ)、宇都宮持綱(うつのみやもちつな)らの反乱軍。
持氏さんが自ら合戦に出陣するのは3つで、この戦もそのひとつなんだよ
持氏出陣の報せを聞いた反乱軍は、
満重「持氏自ら出陣とは!?」
持綱「公方出陣で大軍になっておる!」
満重「京からの援軍は来ぬか!?」
家臣「京からは何の報せもありませぬ!!」
持綱「味方の武将が逃げておる…」
反乱軍はたちまち崩壊してしまう。
満重が援軍派兵を期待している京では、
醍醐寺では将軍、足利義持(あしかがよしもち)の命で祈祷が行われていた。
義持は御所で醍醐寺座主満済(まんさい)と関東の争乱について話していた。
満済「御所様(義持のこと)、仰せのとおり、合戦の鎮静を祈祷させております。」
義持「うむ。持氏自ら出陣するとなると満重らは分が悪かろうな。」
満済「援軍の依頼が来ておりますが、援軍を出されますか?」
義持「……駿河の今川(いまがわ)に出陣の準備をさせよ。」
満済「かしこまりました。準備だけで良いのですか?」
義持「よい。まだ様子を見る。」
足利義持
持氏ら鎌倉公方の軍勢は優勢に軍勢を進めた。
軍勢の中には初陣の上杉憲実(うえすぎのりざね)もいた。
反乱軍は劣勢となり鎌倉公方の軍勢は満重の居城、小栗城(おぐりじょう)に向かった。
小栗城跡
憲実は自ら矢を放ち、合戦が始まった。
憲実「いざ!!」
つづく…








