和を以て貴しと為す
わしは長尾景虎(ながおかげとら)です。
永享7年(1435年)2月5日…
比叡山延暦寺の24人の山徒が足利義教(あしかがよしのり)が山門使節を斬ったことに抗議するため、焼身自殺を図り、根本中堂にも火をかけたのだ。
義教さん、山門使節を許すために呼んだのに…これは騙し討ちだよね
この事は鎌倉にも知るところとなった。
上杉憲実(うえすぎのりざね)は忍びの平太(へいた)が報せてきた。
憲実「延暦寺が燃えたとは…将軍(義教のこと)様の怒りは凄まじい。」
平太「この事を噂することを禁ずるおふれが出ました。破ると斬首すると…」
憲実「まさに恐怖…将軍様は恐怖で政を行なっている。」
足利義教
平太「憲実様、此度、満済(まんさい)様から文をいただいておりまする。」
憲実「満済様から!」
憲実は満済からの文を読んだ。
此度の延暦寺への仕打ち、驚いたことと思う。
御所(義教のこと)様は恐怖で政を行なって将軍の権力を高めようとしている。
延暦寺のことは対岸の火事ではない。鎌倉にもいずれ刃を向けるだろう。
わしも先は長くない。わしが逝ってしまえば御所様を抑えるものがいなくなるのだ。
憲実殿、持氏(もちうじ)殿を抑えるのだ。
鎌倉公方が長く続けるのは、持氏殿が御所様の挑発に乗らず、自重せよ。
頼むぞ、憲実殿
憲実「…平太、満済様は病なのか?」
平太「はい、満済様自身は既に長くないと思い、この文をわたしに託されたのだと思います。」
憲実「満済様が亡くなってしまえば、京で将軍様を抑える、意見を言えるものがいなくなる…。」
6月3日、黒衣の宰相と呼ばれた満済は亡くなられた。
永享8年(1436年)、争いの火種は信濃国で始まった。
ここから憲実の苦悩は加速していく…。
つづく…










