和を以て貴しと為す
わしは長尾景虎(ながおかげとら)です。
怨敵…
上杉憲実(うえすぎのりざね)は鎌倉公方、足利持氏(あしかがもちうじ)が鶴岡八幡宮に収めた願文を見て驚愕した。
持氏さんが自らの血を混ぜて書いた願文だな
憲実は急遽、公方館に居る持氏に会いに行った。
持氏「憲実、いかがした?慌てておるの。」
憲実「公方様…鶴岡八幡宮に収めた公方様がお書きになった願文、拝見いたしました。あれは…」
持氏の顔が険しくになった。
憲実「怨敵とは誰のことを指しているのですか?」
持氏「見たのか…わかっておろう。義教(よしのり)のことだ。」
憲実は頭を振って、
憲実「なぜ…なぜにそこまで…公方様は東国を平和に守るのではないのですか?将軍様と争っても益はありませぬ。」
持氏「憲実…わしはやはり義教が気に入らぬのだ。あの願文は義教を憎む思いで書いた。だから炭にわしの血を混ぜて書いたのだ。」
憲実「なんと…血を…呪詛ではごさりませぬか…?今、京では比叡山延暦寺が公方様と共に将軍様を呪詛していると噂されておりまする。」
比叡山延暦寺
持氏「そうだ…わしは義教を呪っておる。」
憲実「公方様!なりませぬ!先程、京からの使者には延暦寺と公方様は関係してないと伝え返しました。よもや…」
持氏「わしを疑っておるのか?」
憲実「私は公方様を信じて使者に無関係だと伝えたのです。」
持氏「憲実…今はおまえと話したくない。下がれ。」
憲実「公方様……」
永享6年(1434年)12月、
義教は比叡山を軍勢で囲み抑えていたが、延暦寺から降伏の申し出があった。
しかし、義教は許そうとはしなかったが管領、細川持之(ほそかわもちゆき)が、
持之「上様、この機に延暦寺を赦免いたしましょう。かなわぬのなら…わしは自邸を焼き自国へ帰りまする。」
この持之の強硬な姿勢は持之だけでなく、他の幕府宿老も同じ申し出があり、義教は折れて延暦寺と和睦したのだ。
細川持之
しかし…義教の本心は許しておらず…
翌年の永享7年(1435年)2月、延暦寺の使節の処罰の免罪、そして再任すると口実で京に出頭してきた3人の僧を…
義教は捕らえて首をはねてしまったのだ。
3人の僧はなかなか上洛しなかったけど、管領の持之さんの誓紙でようやく上洛してきたのに…
これを知った延暦寺の山徒は激怒し、24人の山徒が根本中堂に火を放ち焼身自殺をしたのだ…。
つづく…










