和を以て貴しと為す
わしは長尾景虎(ながおかげとら)です。
駿河より鎌倉へ戻った上杉憲実(うえすぎのりざね)は自身の居館に入ると、
「殿!!(憲実のこと)」
家宰の長尾景仲(ながおかげなか)が慌てて出迎えにきて、
長尾景仲
家宰って、家の家長に代わって家政を取り仕切る職責のことだよ
憲実「景仲、どうした?そんなに慌てて」
景仲「ちょうどいいところにお戻りになりました。御台様が…」
憲実「佐奈子(さなこ)!?もしや…」
景仲「御子が産まれました!若君にございます!」
憲実「なんと!?」
憲実は慌てて佐奈子の元へ走った。
ドタドタ!!
憲実の激しく走る音に、佐奈子付きの侍女が、
侍女「殿様!そんなに音を立てては御台様の身体によくありませぬ!」
憲実「おぉ、すまぬ。佐奈子は?」
侍女「ふふっ、こちらにございます。若君もご一緒です。」
通された居間には床についている佐奈子と赤子がいた。
佐奈子「殿、お帰りなさいませ。お迎えができず…」
憲実「迎えなどよいよい。佐奈子…よくがんばった。」
佐奈子「はい、私たちの子にございます。」
そこには元気な男子の赤子が佐奈子の腕に抱かれていた。
憲実「おぉ…男か…わしも親になったのだな。」
佐奈子「はい、さぁ抱いてやってくださいませ。」
憲実は恐る恐る我が子を抱き抱えた。
憲実「我が子…我が子よ」
景仲「殿、御台様、おめでとうございます。」
憲実も景仲も目を細めた。
この赤子が後の上杉憲忠(うえすぎのりただ)。
憲忠の存在が後に憲実と景仲の仲を割ろうとは…
憲忠が生まれた永享5年(1433年)、京では比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)と幕府との揉め事が起こった。
延暦寺
詳しくは割愛するけど、延暦寺方が強訴したり、幕府方が比叡山を包囲したりと大変だったんだよ
もともとは天台座主であった将軍、足利義教(あしかがよしのり)は延暦寺の力を取り込もうと図っていたのだ。
一旦は和睦した幕府と延暦寺だったが…
義教「延暦寺がわしを呪詛しておるだと!?」
永享6年(1434年)、延暦寺が鎌倉の足利持氏(あしかがもちうじ)と通じて義教を呪詛していると噂が流れたのだ…
つづく…









