暴れん坊を頼れ・外伝〜平治の乱④ | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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私は源為朝(みなもとのためとも)の孫、里子(さとこ)です。





「日本一の不覚人!」


平治元年(1160年)12月26日早朝、源義朝(みなもとのよしとも)は藤原信頼(ふじわらののぶより)をそう罵倒しました。



コアラ信頼さん、信西(しんぜい)さんを討ち、政の権力を握ったよね



内裏から二条天皇(にじょうてんのう)と後白河上皇(ごしらかわじょうこう)がいなくなっていたのです。



二条天皇



二条天皇は平清盛(たいらのきよもり)の本拠、六波羅(ろくはら)に行幸しました。


すると、美福門院(びふくもんいん)や藤原摂関家(ふじわらせっかんけ)の忠通(ただみち)や基実(もとざね)親子も六波羅に集まりました。





清盛は官軍となり、信頼、義朝追討の宣旨が下されたのです。



コアラ帝と院がいなくなり、逆賊となったから義朝さんは信頼さんを「日本一の不覚人」と怒ったんだね




平家は重盛(しげもり)と頼盛(よりもり)の軍勢が内裏に攻めてきました。




コアラ重盛さんは義朝さんの長男、義平(よしひら)さんと一騎討ちで戦ったんだね



義朝は保元の乱では公的な兵の動員だったのに対し、此度は秘密裏の招集だったため、私的な兵力は少なかったのです。




清盛は内裏での戦闘を避けるため、平家軍をわざと退却させ六波羅周辺へ戦場を移したのです。





決心の覚悟で平家軍に挑んだが、源頼政(みなもとのよりまさ)の寝返りもあり、六条河原で敗退したのです。



コアラ義朝さんは兵も少なく多勢に無勢だったね





敗走する源義朝


敗退した義朝は味方が防戦する中、京から脱出したのです。





つづく







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