若きジャンボは善戦マン〜対ビルロビンソン | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

コアラ不定期連載「若きジャンボは善戦マン」、第3回だね




第3回はビルロビンソンとの対戦。



コアラおぉ、国際プロレス参戦時は外人レスラーだけど、エースだったよね



ロビンソンは国際プロレスで大活躍し、新日本プロレスではアントニオ猪木さんと名勝負を展開しました。




ロビンソンが全日本プロレスに参戦したのが1976年。


コアラ猪木さんとの対戦が1975年の年末だね





ロビンソンは蔵前国技館ジャイアント馬場さんとの対戦が決まりました。



その1週間前にジャンボ鶴田との対戦が行われています。



この試合はジャンボの試練の10番勝負の第四戦でした。






確か…自分はこの試合を見た記憶があります。



両者ともダブルアームスープレックスを得意としていましたね。



コアラスープレックス合戦が注目されたね



60分3本勝負でしたが、両者1本ずつ取り、3本目は時間切れとなり、さらに5分間延長。



それも時間切れ引き分けとなりました。



コアラ65分も戦ったんだね



その1週間後、


馬場さんはロビンソンから2フォールを奪い、勝っています。




この後は全日本プロレスに継続して参戦したロビンソン。


ジャンボの持つUN選手権を奪取しています。



1977年3月に行われた試合、





善戦しましたが、これも時間切れ引き分け。



ジャンボとロビンソンの対戦は引き分けが多かったですね。



コアラUNタイトルは、ジャンボがアメリカで取り返しているんだよね




自分は幼心にロビンソンとジャンボの対戦が残っており、ダブルアームスープレックスが好きな技となりました。




ジャンボはロビンソンからプロレスの技術的なものを学んだように感じます。




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