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源頼朝
鬼武者くんは義朝さんの三男で、義朝さんには既に別々の側室との間に2人も男子がいるんだよ
八郎は義朝の館に通い、鬼武者を可愛がっていました。
義朝「八郎、今日も鬼武者に会いに来たのか?」
八郎「はい、生まれて1年かわいい…いや、それもありますが、兄上に我の弓矢を見て頂きたく来ました。」
義朝「ふふっ、弓矢は言い訳ではないのか?まぁ、よい。我は時間がないから、今すぐ弓矢を見てやろう。」
八郎「はい!」
八郎は矢を放ちました。
ズバッ!!
義朝「!!」
八郎の放った矢は的を破壊したのです。
八郎「兄上、いかが?」
義朝「…おっ…おう、八郎、見事な腕前に上達したな。もはや、我の教えることはないぞ。」
八郎「兄上のおかげにございます。」
義朝「うむ、では我は藤原忠通(ふじわらのただみち)様のところで行ってくる。鬼武者と遊んでやってくれ。」
義朝は館が出て行きました。義朝は、
義朝『八郎の弓矢は…強弓だ。既に我を超えておる。まだ10歳になったばかりなのに…』
この頃、義朝は正室、由良の実家の後ろ盾もあり、鳥羽法皇(とばほうおう)様や関白、藤原忠通に接近していました。
藤原忠通
この忠通の藤原摂関家では忠通の父、忠実(ただざね)と弟の頼長(よりなが)が忠通と以前より不仲になっており、年が経つにつれ険悪になっていました。
頼長さんは忠通さんの養子だった時期もあるんだけど、忠通さんに実子ができて仲が悪くなったんだよ
久安6年(1150年)には近衛天皇(このえてんのう)の後宮のことで、頼長が養女を入内させたのに対し、忠通も養女を入内させたのです。
これに激怒した忠実は忠通を義絶し、藤氏長者(とうしのちょうじゃ)の地位を剥奪し頼長に与えたのです。
藤氏長者って藤原一族全体の氏長者ってことだな
さらに忠実は源為義(みなもとのためよし)を呼び、
忠実「為義、忠通の館を襲え!そして藤原氏の宝物、朱器台盤(しゅきだいばん)を奪ってまいれ!」
為義「忠通様は忠実様の御子ではないですか?」
忠実「父の言うことを聞けぬものは、もはや子ではない。もし、あやつがいたら…殺れ!」
為義「……」
為義は兵を連れ、忠通の館、東三条殿(ひがしさんじょうどの)を襲い、朱器台盤を奪ったのです。
東三条殿
忠通は守備していた義朝の家臣に守られて間一髪無事でした。
義朝『父上…やっていることは野盗ではないか…』
これにより源氏でも親子の争いが激化していったのです…。
つづく…
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