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我に任せろ!
私は源為朝(みなもとのためとも)の孫、里子(さとこ)です。
八郎(はちろう)の父、源為義(みなもとのためよし)は藤原摂関家の大殿、藤原忠実(ふじわらのただざね)に懸命に仕えていました。
その藤原摂関家は康治2年(1143年)関白の忠通(ただみち)に待望の男子の実子が誕生したのです。
それが後の藤原基実(ふじわらのもとざね)です。
藤原基実
基実さんが生まれた時、忠通さんは40歳を超えていたんだよ
それまで忠通は20歳以上離れた弟の頼長(よりなが)を養子にしていましたが、やはり実子を摂関の地位の継承を望むようになりました。
頼長を寵愛する忠実と忠通の対立はさらに激化していくことになるのです。
関白の忠通さんと忠実、頼長と藤原摂関家は2つに割れたんだね
為義は忠実に仕える関係で頼長にも臣従していたのです。
藤原頼長
そんな為義を忠実は評価し、そのおかげで為義は久安2年(1146年)に左衛門大尉になり検非違使に復帰したのです。
検非違使
検非違使は京の治安維持なんかをする役職だね
為義が検非違使に復帰した年、八郎は7歳になりました。
「おらー!!」
相変わらず暴れん坊で為義は手を焼いていたのです。
兄である為宗(ためむね)、為成(ためなり)は腕力で敵わなくなっていました。
こんな中、1人の武士が京に帰ってきました。
「父上、東国より帰ってきました。」
その武士は…
源義朝(みなもとのよしとも)。
為義の長男であり、少年期に東国に下向し在地の豪族を従え勢力を伸ばしていたのです。
為義「義朝、よく帰ってきた。」
義朝「はい、東国は我がまとめて……痛っ!」
義朝の腕に石つぶてが当たりました。
義朝「誰だ!?石つぶてを投げたのは!?…ん、お前か!?」
義朝の目の先には八郎がいたのです…。
つづく…
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