経験の差が出た関ヶ原 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜


コアラいよいよ関ヶ原の戦いだぁ〜ってことで第43話の感想ぉ〜!



城攻めではなく、石田三成の誘いに乗った徳川家康


決戦の場所は…


関ヶ原





コアラ関ヶ原の戦いを描いた大河で凄かったのは「葵・徳川三代」だったね



家康方の東軍の先陣を切ったのは福島正則…ではなく、





家康の臣下の井伊直政


コアラ井伊の赤備えだな


布陣図を見ると…



※布陣図はお借りしました


有利なのは三成方の西軍。


ところが…


家康の陣の背後に陣取っていた西軍の吉川広家は、




弁当を食べていて動かず。そのため、吉川軍の後ろにいた同じ西軍の毛利秀元安国寺恵瓊長宗我部盛親らは動くことができませんでした。



コアラ戦、始まってるのに飯食ってる場合かぁ!



さらに大阪城に待機していた、



毛利輝元茶々に催促されても出陣せず。


豊臣秀頼が出陣するため鎧をきていましたが…そうだっけ?)





すでに家康は毛利を調略していましたね。


コアラ吉川広家は毛利家の1人だからね




どんな状況でも焦ることのない家康、かたや三成は、




思うように味方であろう諸将の軍勢が動かず、焦っていたでしょう。



コアラ毛利、吉川、島津、そして小早川と動かずだね



家康は前進しました。


すると、




西軍の小早川秀秋が裏切り、家康方となり、西軍の大谷吉継を攻めたのです。





これが決定的となり、西軍の負け、東軍の勝ちでした。



(史実では家康は小早川の陣に鉄砲、大筒を打ち込み出陣の催促したとなっていたと思います。)




敗走する西軍でしたが…家康の陣に向けて中央突破して駆けてきたのが、島津義弘


中央突破を許すまじと島津を攻めたのが、




井伊直政。


ところが、直政は銃で撃たれてました。




戦が終わり、




直政は勝った喜びを家康と感じていましたね。



ただ…直政はこの時の傷が元で……




西軍の負けを知った茶々は、






毛利輝元を罵り、思いっきりビンタ。





コアラ怖い〜😱



戦後、捕らえられた三成と家康は会いましたが、




戦のない世を目指す家康と、あくまで秀吉の意を貫こうとする三成がぶつかり合いましたね。



熱くなる三成に対し、冷静に対応する家康…やはり経験の差が出た最後であり、戦でした。




これで家康の天下…とはまだ言い切れないなぁ



まだ茶々がいる。






次回も楽しみです☆



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