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源為義
源氏と言っても源頼信(みなもとのよりのぶ)、頼義(よりよし)、義家(よしいえ)の流れの河内源氏なんだよね
為義は白河法皇(しらかわほうおう)様から検非違使(けびいし)に任命され、即位したばかりの鳥羽天皇(とばてんのう)様の警備をしたり、寺社の強訴からの防衛をしたりと院を守護する武力として期待されていました。
強訴
同時期の検非違使には伊勢平氏(いせへいし)の平忠盛(たいらのただもり)もいました。
平忠盛
ところが同じ検非違使にもかかわらず、忠盛は受領(ずりょう)に歴任されていました。
為義は一介の検非違使のままだったのです。
受領って国の守だよね。安芸守(あきのかみ)とか播磨守(はりまのかみ)とか。
為義が昇進しなかったのは、罪人を匿ったり、郎党の乱暴狼藉が頻発したからなのです。
保延元年(1135年)4月に西海の海賊追討の際には忠盛と並んで為義も追討使の候補に上がりましたが、譲位していた鳥羽上皇(とばじょうこう)様が、
鳥羽「為義一党を行かせるのは反対だ。狼藉を繰り返す輩ばかりで賊になるかもしれん!」
鳥羽上皇
自身の行為のせいなのに為義は腐っていました。
為義「忠盛は昇進、海賊追討の活躍の場を与えられるのに…」
保延2年(1136年)に為義は左衛門少尉を辞任しました。これは解任に近い形でした。
為義は鳥羽上皇との関係が悪く、検非違使でありながら貴族の護衛をすることが多くなりました。
ある貴族の護衛で熊野に行き、途中、江口(えぐち)に立寄り宿泊となりました。
江口って今の大阪市東淀川区辺り
江口で酒宴となり、遊女が多数呼ばれていました。
為義は酒宴の席の端にいました。遊女は貴族の方々に接していましたが…
「飲まれないの?」
1人の遊女が為義に近づいてきました。
為義「我は…護衛だ。」
遊女「内緒でお酒を持ってきたわ。おひとつ、どうぞ。」
これが為義と為朝の母と出会いでした…。
つづく…
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