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吉川広家(きっかわひろいえ)です。
関ヶ原の戦いの後、毛利輝元(もうりてるもと)は領地没収の上、改易。
毛利家の領地の内、周防、長門の2ヶ国をわし(広家のこと)に与えるとの沙汰が来たのだ。
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毛利輝元
広家『これでは毛利が潰れてしまう!父、元春(もとはる)との約束が守れぬ…』
わしは命をかけて豊臣秀吉(とよとみひでよし)公と立ち向かった父と同じように徳川家康(とくがわいえやす)に向かうことにしたのだ。
10月3日、わしは家康に対し、毛利家存続の起請文を出したのだ。
私への御恩顧は後世まで忘れることはありませぬが、どうか毛利家の家名存続を残して頂きたく御願い申し上げます。
此度のこと、輝元の本意ではごさいません。輝元が分別のない人間であることは家康様もご存知だと思います。
輝元は今後は家康様に忠節を尽くしますから、毛利の家名をどうか残してください。
輝元が処罰されて、自分が取り立てられては面目が立たないので、輝元と同じ処罰を与えてください。
有り難く、毛利の家名が残していただけたら、輝元はこの御恩を忘れることはありませぬ。
万が一、輝元が徳川様に矢を向けるようなことがあれば、その時は本家であろうとも輝元の首を自分が取って差し上げます。
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家康は家臣の井伊直政(いいなおまさ)、本多正信(ほんだまさのぶ)、さらに黒田長政(くろだながまさ)らから広家の起請文を渡され、
家康「広家は領地は要らぬと言うのか?」
直政「毛利を守るために命をかけておりまする。」
長政「関ヶ原で南宮山の西軍を抑えたのは広家の活躍あったればこそ。広家を死なせるわけにはいきませぬ。」
家康「…輝元が処罰されれば広家も死ぬと?」
正信「毛利には毛利元就(もうりもとなり)公が残した遺言がございます。"天下を競望せず…"と。その遺言どおり、毛利両川の吉川元春、小早川隆景(こばやかわたかかげ)も命をかけて毛利を守りました。」
毛利元就
家康「…広家を連れて参れ」
わしは家康に会い、起請文のことを再度、願い出た。
広家「私の命をかけて輝元は徳川様に忠誠を誓います。どうか、どうか毛利の家名をお残しいただきますよう御願い申し上げます!」
家康「広家…面を上げよ。」
わしは家康の目をじっと見た。
徳川家康
家康「広家、お前を信じるぞ。毛利の家名は残す。毛利は周防、長門の2ヶ国を安堵、輝元とその子、秀就(ひでなり)の安全は保障しよう。」
広家「あ…ありがとうございます!!」
わしは大きく頭を下げた。
家康はわしの側に寄ってきて、
家康「かつて亡き秀吉様がそなたの父、元春と最後に会った話をしてくれた。秀吉様は元春の気迫に押され負けたと言っておった…わしも今のそなたに同じものを感じたぞ…」
広家「…ありがとうございます。」
こうして毛利家は8ヶ国112万石から2ヶ国29万8千石と減封となったが家名は残った。
わしは移封後、毛利家の家政の第一線からは退いた。
吉川家は毛利家から岩国3万石の領地を与えられたが、毛利の支藩ではなく、家臣扱いとなった。
一方で家康はわしを大名扱いしてくれた。わしは微妙な立場ではあったが…
広家「……これでよい。毛利が残ったのだ。」
おわり
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