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元春の目は明らかに戦場での戦う目であった。
秀吉の後ろには黒田官兵衛(くろだかんべえ)がいた。
元春も秀吉も官兵衛も…その場にいる誰ひとり言葉を発しない。
秀吉も仁王立ちで元春を睨みつけていた。
豊臣秀吉像
どれくらいの時が流れたのだろうか…ようやく官兵衛が声を発した。
官兵衛「殿下(秀吉のこと)、そろそろ大阪へ戻りましょう。」
秀吉「……うむ。」
秀吉は帰ろとしたが、再び元春の方を振り返り、
秀吉「猛将、吉川元春…さらばじゃ。」
元春「……」
秀吉が去った後、元春はまた吐血した。
「ゴホッゴホッ…」
経言「父上!!誰か医師を呼べ!」
元春「…ふっ、大事ない。」
経言「父上、横になってくだされ。」
経言は元春を抱えて床に伏せた。
元春「…秀吉、さすがに天下を取った男だ。」
経言「父上…張り付いた緊張感でした。」
元春「動けば…相討ちになったやもしれぬ。しかし、わしには父、毛利元就(もうりもとなり)の声が聞こえてきたのだ。"天下を競望せず…天下を望むな"と。」
毛利元就
経言「父上…もうお喋りにならないほうが…」
元春「よい、経言、吉川は毛利本家を支える家。どんな時も輝元(てるもと)様を支えるのだぞ。」
その後、医師や輝元がやってきた。
元春は輝元に九州攻めの毛利軍の戦略を言い残した後、
元春「…殿(輝元のこと)、毛利をお頼みいたします。」
輝元「うむ、任せておけ。」
天正14年(1586年)11月15日…吉川元春は豊前小倉城二の丸にて逝去した。享年57。
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吉川元春像
秀吉は元春が逝去したことを大阪に戻る途中で聞いた。
秀吉「そうか…官兵衛、あの時、そなたがいなければ、わしは元春に討ち取られいたやもしれぬ。」
官兵衛「…はい、あんな緊迫した状況、官兵衛も初めて味わいました。」
秀吉「元春…ついにわしに頭を下げずに逝きおったわ。」
この後、秀吉は大阪で太政大臣に就任した後、翌年には島津(しまづ)を降伏させ九州平定をなし、さらには関東の小田原北条氏を征伐し、天下統一を果たしたのだ。
元春が亡くなって14年後…関ヶ原
秀吉亡き後、天下を狙う徳川家康(とくがわいえやす)と石田三成(いしだみつなり)との激突が関ヶ原で行われたのだ。
わし、経言は広家と改名し、先に亡くなった兄、元長(もとなが)の後を継いで吉川家の当主となっていた。
叔父、小早川隆景(こばやかわたかかげ)も亡くなり、わしは毛利を支える身であった。
広家『ここで、わしが家康の本陣に突っ込めば毛利は天下を取れるかも……』
そんなことも思ったが、父、元春からの言葉、『毛利を支えよ、天下を望むな』がしっかりと頭にあり、
広家「吉川軍は動かさぬ!!」
結果、徳川家康の勝利となり、西軍だった毛利は防長の領地減封となった。
わしは瀬戸内海を見ながら、
「父上、毛利は守りましたぞ…」
空から父、元春の声が聞こえる気がした。
『槍を持て!!』
終わり
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