前回まではこちら⬇️
秀吉さんは伊予の他に讃岐は宇喜多(うきた)軍、阿波は弟の秀長(ひでなが)さんに攻めさせたんだ
小早川軍の上陸を阻もうと長宗我部(ちょうそがべ)の兵が襲撃してきた。
「うぉぉ〜!!」
「向かって参れ!討ち取ってくれるわ!!」
小早川軍の1部の兵が激しく活躍し、長宗我部勢を打ち破った。
隆景は、
隆景「思ったより早く上陸できたが、長宗我部の兵をこんなに討ち取った者は誰か?」
家臣「それが…わかりませぬ。その者たちは2人のようですが、姿が見えませぬ。」
隆景「消えたと申すのか?」
家臣「はい」
隆景「…まぁよい。次は東に向かうぞ。」
長宗我部勢を多く討ち取った2人…それは密かに小早川軍に潜り込んでいた元春とわし、経言(つねのぶ、後の広家)だったのだ。
元春は、
元春「うまく上陸できたの、経言」
経言「父上、お忍びなのに、あんなに激しく戦って隆景叔父上にばれませぬか?」
元春「ばれてるかもな、ハハハッ」
久しぶりに合戦に出た元春は生き生きしているように見えた。
元春「経言、この先は弥助(やすけ)と合流して、ある武将の戦いを見に行くぞ。」
経言「父上はその武将を私に見せたいとおっしゃっていましたが、それはどなたですか?」
元春「うむ、以前に河野(こうの)の援軍で伊予に来た時に、わしと戦った武将なのだ。その時は誰かわからなかったが…後に弥助に調べさせたら、それが金子元宅(かねこもといえ)とわかったのだ。」
金子元宅
経言「金子元宅は伊予東部を実質治めている武将と聞いております。」
伊予東部は石川氏(いしかわし)が治めていたが、石川氏の当主石川虎竹(いしかわとらたけ)はまだ幼少で元宅が実質的に治めていたのだ。
元宅さんは新居浜市にある金子城(かねこじょう)の城主でもあるんだよ
元春「元宅がどう戦うのか、わしも見てみたいのだ。」
元春と経言は弥助と合流すべく先を急いだ。
少し前、伊予の新居郡の高峠城(たかとうげじょう)では石川氏の家中では議論がされていた。
「秀吉の軍勢にはかなわぬ」
「毛利と和議を結ぶべきではないか」
「戦っても多勢に無勢だ」
和議の意見が上がる中、元宅が、
元宅「昨日は長宗我部に従い、今日は毛利に降る…土佐の人質を見捨て、人から後ろ指を指されて生き延びるのは武士の本意ではない!」
元宅の言葉に誰も言葉を失った。
元宅「勝負は時の運、死力を尽くして一戦に望み、刀折れ矢尽きるまで命をかけて戦うべし!!」
これで石川家中はひとつにまとまり、毛利軍と合戦に望んできたのだ。
小早川軍は上陸し、丸山城(まるやまじょう)の黒川広隆(くろかわひろたか)を戦わず降伏させた。
同じ頃、毛利軍の吉川元長(きっかわもとなが)軍は新居郡の沢津から上陸し、現地の諸城を落としていた。
生子山城跡
岡崎城跡
元長軍は元宅の居城である金子城(かねこじょう)も落としていった。
金子城跡
元宅は弟の金子元春(かねこもとはる)に金子城を託していたが、金子城は落ちたのだ。
元宅は氷見高尾城(ひみたかおじょう)に諸将らを集結し小早川軍に抵抗していた…。
つづく…
最後までご覧になって頂き誠にありがとうございます😊宜しければ下⬇️のコアラのバナー(にほんブログ村にエントリーしています)をクリックお願いします🤲
にほんブログ村






