ジャイアント馬場さんのタッグパートナー、今回は、
アンドレ・ザ・ジャイアント
でたぁ〜、大巨人コンビだぁ〜
アンドレは初来日は国際プロレス、その後、WWF(現在のWWE)と提携している新日本プロレスに上がり、馬場さんとは、ほとんど接点がありませんでした。
アメリカのマットでバトルロイヤルでわずかに遭遇したことがあるね
1990年にWWFが日本進出を図り、それを制するため実現したのが新日本、全日本、WWFの共同開催の日米レスリングサミット。
開催場所は東京ドーム。
ここで馬場さんはアンドレと初めてタッグを組んだのである。
相手は当時、WWF世界タッグ王者のデモリッション(アックス&スマッシュ)。
試合は馬場さんの16文キックからアンドレのエルボードロップで馬場、アンドレ組の勝利でした。
アンドレは馬場さんとのタッグを気に入り、その後、WWFを離脱し、全日本プロレスに参戦。
再び馬場、アンドレ組が日本で見れることになり、このタッグは1990年の世界最強タッグ決定リーグ戦に参戦したのです。
大阪ではテリーゴディ、スティーブウィリアムスと対戦し、
馬場さんのランニングネックブリーカードロップで勝ったのです。
アンドレも見事なフォローしてるね
このまま行くと優勝すると思ったのですが、ザ・ファンクスとの試合で馬場さんが負傷し、その後のリーグ戦を棄権…残念です。
馬場さんは足を負傷して翌年の6月に復帰したんだよね
1991年の世界最強タッグ決定リーグ戦にも参戦。
ここではラウンドオブジャイアンツ(スカイウォーカーナイトロン&ブレードブッチマスターズ)と対戦。
なんと、4人のの中で馬場さんが1番背が低かったんですね。
しかし、馬場、アンドレ組のチームワークの方が上で、
馬場さんの16文キックからのアンドレのエルボードロップのコンビネーションで見事に勝利。
このリーグ戦では20点を獲得し、2位となりました。
1993年は馬場さんはアンドレの体調面を考慮し、タッグリーグ戦には不参加。
しかし、アンドレは特別参加。馬場さんを含めた6人タッグで出場しました。
この来日がアンドレの最後になったんだよね
全盛期は過ぎた2人でしたが、入場してくるだけで絵になるタッグでした。
最後までご覧になって頂き誠にありがとうございます😊宜しければ下⬇️のコアラのバナー(にほんブログ村にエントリーしています)をクリックお願いします🤲
にほんブログ村