猛将親父 〜第140話 本能寺の変〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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目次




天下を競望せず…

わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。



天正10年(1582年)6月4日、毛利(もうり)方の備中高松城(びっちゅうたかまつじょう)城主、清水宗治(しみずむねはる)が切腹した。


コアラ宗治さんの切腹で毛利と織田は和睦となったんだよね



元春や毛利の当主・毛利輝元(もうりてるもと)、小早川隆景(こばやかわたかかげ)らは備中高松城近くの猿掛城(さるかげじょう)に退去した。




猿掛城跡



織田方の羽柴秀吉(はしばひでよし)は、毛利軍の退去を見届けた。


そして6日、


秀吉「官兵衛(かんべえ)、毛利はいなくなったな?」


官兵衛「はい、備中高松城には杉原家次(すぎはらいえつぐ)殿を置いておきます。」


コアラ杉原家次さんは秀吉さんの妻・おねさんの叔父なんだよ



秀吉「よし…帰るぞ…準備は万全、皆、走るぞ!!」




秀吉軍は山陽道を東に向かった。





その翌日、猿掛城に重大な報せがもたらされた。


報せを持ってきたのは紀伊の雑賀衆(さかいがしゅう)の兵であった。


わし、経言(つねのぶ、後の広家)は、その兵に会い、報せを見た。


経言「……これは誠か⁉︎」


兵「はい、こちらには明智(あけち)殿からの密書は来られませんでしたか?」



経言は震えた。


経言『秀吉はこの報せを先に知ったのでは⁉︎』




経言はすぐに元春や輝元、隆景は元へ行き、報せを見せた。



輝元「…6月2日、京、本能寺(ほんのうじ)にて織田信長(おだのぶなが)、明智光秀(あけちみつひで)勢に討たれる…」


元春「!!」


隆景「信長が討たれたと⁉︎」






これが世にも有名な本能寺の変(ほんのうじのへん)である。



輝元「光秀は信長の家臣ではないか、それがなぜ信長を討ったのか?」


隆景「信長の家臣団は各地に散らばっており、1番近くにいたのが光秀。光秀は信長の命で、この毛利攻めに出陣してくるはずだったが…思えば信長を討つのに最上の機会だったのか…」


経言「秀吉が毛利との和議の条件を緩めたのは、本能寺のことを先に知って京へ戻るためだったのでは…」



元春は立ち上がった。


元春「秀吉、許さん!!すぐさま追撃いたす!」



元春は怒りに震えていた。



隆景「兄上!なりませぬ!」


元春「なぜだ⁉︎我らは秀吉に騙されたのだぞ。信長は来ぬのだ!」


隆景「毛利は和睦を結んだのです。その誓紙の血も乾かぬうちに、これを破るのは武士の恥にございます。」


元春は隆景をにらんだ。


隆景「兄上、我らの父、元就(もとなり)が残した三子教訓状を思い出してくだされ。」




コアラ元就が隆元(たかもと)、元春、隆景の3人に残したものだよね



隆景「父上は意見が違う我らを心配して残された教訓状。今こそ、我らは意見を合わせねばなりませぬ。」


元春「…そうであったな。我らは切腹した宗治のためにも毛利を守らねばならぬ。」



輝元は落ち着いた2人を見て、


輝元「安芸へ帰ろう。」


隆景「はい、毛利の領地の国人衆は動揺しているでしょう。まずはしっかりと統治せねば。」



毛利軍は安芸国へ向かった。


元春は備中高松城の方を見ながら呟いた。


『天下を競望せず…父上、わしは天下は望まぬ。されど許せぬものは許せぬ…』




信長の討死により、天下は変わっていくのである…





つづく…



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