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宗治さんの切腹で毛利と織田は和睦となったんだよね
元春や毛利の当主・毛利輝元(もうりてるもと)、小早川隆景(こばやかわたかかげ)らは備中高松城近くの猿掛城(さるかげじょう)に退去した。
猿掛城跡
織田方の羽柴秀吉(はしばひでよし)は、毛利軍の退去を見届けた。
そして6日、
秀吉「官兵衛(かんべえ)、毛利はいなくなったな?」
官兵衛「はい、備中高松城には杉原家次(すぎはらいえつぐ)殿を置いておきます。」
杉原家次さんは秀吉さんの妻・おねさんの叔父なんだよ
秀吉「よし…帰るぞ…準備は万全、皆、走るぞ!!」
秀吉軍は山陽道を東に向かった。
その翌日、猿掛城に重大な報せがもたらされた。
報せを持ってきたのは紀伊の雑賀衆(さかいがしゅう)の兵であった。
わし、経言(つねのぶ、後の広家)は、その兵に会い、報せを見た。
経言「……これは誠か⁉︎」
兵「はい、こちらには明智(あけち)殿からの密書は来られませんでしたか?」
経言は震えた。
経言『秀吉はこの報せを先に知ったのでは⁉︎』
経言はすぐに元春や輝元、隆景は元へ行き、報せを見せた。
輝元「…6月2日、京、本能寺(ほんのうじ)にて織田信長(おだのぶなが)、明智光秀(あけちみつひで)勢に討たれる…」
元春「!!」
隆景「信長が討たれたと⁉︎」
これが世にも有名な本能寺の変(ほんのうじのへん)である。
輝元「光秀は信長の家臣ではないか、それがなぜ信長を討ったのか?」
隆景「信長の家臣団は各地に散らばっており、1番近くにいたのが光秀。光秀は信長の命で、この毛利攻めに出陣してくるはずだったが…思えば信長を討つのに最上の機会だったのか…」
経言「秀吉が毛利との和議の条件を緩めたのは、本能寺のことを先に知って京へ戻るためだったのでは…」
元春は立ち上がった。
元春「秀吉、許さん!!すぐさま追撃いたす!」
元春は怒りに震えていた。
隆景「兄上!なりませぬ!」
元春「なぜだ⁉︎我らは秀吉に騙されたのだぞ。信長は来ぬのだ!」
隆景「毛利は和睦を結んだのです。その誓紙の血も乾かぬうちに、これを破るのは武士の恥にございます。」
元春は隆景をにらんだ。
隆景「兄上、我らの父、元就(もとなり)が残した三子教訓状を思い出してくだされ。」
元就が隆元(たかもと)、元春、隆景の3人に残したものだよね
隆景「父上は意見が違う我らを心配して残された教訓状。今こそ、我らは意見を合わせねばなりませぬ。」
元春「…そうであったな。我らは切腹した宗治のためにも毛利を守らねばならぬ。」
輝元は落ち着いた2人を見て、
輝元「安芸へ帰ろう。」
隆景「はい、毛利の領地の国人衆は動揺しているでしょう。まずはしっかりと統治せねば。」
毛利軍は安芸国へ向かった。
元春は備中高松城の方を見ながら呟いた。
『天下を競望せず…父上、わしは天下は望まぬ。されど許せぬものは許せぬ…』
信長の討死により、天下は変わっていくのである…
つづく…
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