ジャイアント馬場さんのタッグパートナー、今回は、
ドリーファンクジュニアです。
2人とも同じ赤のパンツだね
ドリーと言えば、実弟のテリーファンクとのタッグ、ザ・ファンクスですが、
1983年8月31日にテリーが引退。
(後に復帰しますが…)
その年末の世界最強タッグ決定リーグ戦で実現したのが、馬場さんとドリーのタッグでした。
それまで馬場さんとタッグを組んで最強タッグに出場していたジャンボ鶴田は天龍源一郎とのタッグで出場。
全日本プロレスも新しい世代になっていった…ということですね。
馬場、ドリー組は鶴田、天龍組との対戦では時間切れ引き分け。
この最強タッグで優勝候補の筆頭はハンセン、ブロディ組でした。
全勝優勝も予想されましたが、馬場、ドリー組が反則勝ちし、黒星をつけたのです。
リーグ戦の結果はハンセン、ブロディが優勝だったね
馬場、ドリー組の試合で有名なのが、1984年4月25日、横浜文化体育館で行われたPWF世界タッグ王座決定リーグ戦の公式戦のハンセン、ブロディ戦。
公式戦の最後の試合で勝った方がチャンピオンでした。
このリーグ戦には他に鶴田、天龍組とグレッグガニア、ジムブランゼルが参加していたんだよ
この試合で馬場さんはハンセン、ブロディの合体パイルドライバーをくらい、
さらに場外で、
ハンセンのウエスタンラリアットをくらったのです。
試合はドリーがフォール負け。
馬場さんは首を負傷し、連続試合無欠場記録が3711でストップしたのです。
さらに馬場さんは、この負傷を理由にジャンボとのタッグで保持していたインタータッグ王座を返上したのです。
この後、馬場さんがインタータッグに絡むことはなかったんだよね
その後、その年の8月の田園コロシアム大会でハンセン、ブロディのPWF世界タッグに挑戦。
この試合の結果は馬場、ドリー組の反則負けでしたが、それよりセカンドについたテリーの方が目立ちました。
結局、この試合はテリーの復帰に繋がるアングルだったのでしょう。
テリーはハンセン、ブロディにボコボコにされたんだよね
テリーの復帰で年末の世界最強タッグ決定リーグ戦ではザ・ファンクスが復活。
馬場、ドリー組は終わった…かと思ったら、翌1985年にテリーがWWF(現在のWWE)に参戦したため、再び年末の最強タッグには馬場、ドリー組が復活。
長州との対戦が実現したのです。
これは時間切れ引き分けだったね
このリーグ戦が馬場、ドリー組の最後の出場となりました。(翌年にはドリーは再びザ・ファンクスで出場しています。)
馬場さんもドリーも元NWA世界ヘビー級チャンピオンであり、超ベテラン。
面白いタッグではありましたが、テリーに振り回された感じがありましたね。
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