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輝元「2人とも、やめい!!ここで言い争ってどうする⁉︎一旦、解散じゃ!わしが考える!皆、下がれ!」
めずらしく輝元が怒鳴ったのだ。
ところが…
天正10年(1582年)6月3日深夜、秀吉が恵瓊を呼び出したのだ。
隆景「どうしたのだ?秀吉から呼び出しがあるとは?」
恵瓊「わかりませぬが…行ってまいります。」
恵瓊が向かおうとした時、輝元が、
輝元「恵瓊、昨日の秀吉の条件をのむと言ってまいれ。頼むぞ。」
恵瓊「元春様や隆景様には?」
輝元「毛利の当主はわしじゃ。さぁ行くのじゃ。」
恵瓊は秀吉方の黒田官兵衛(くろだかんべえ)の陣に入った。
そこには秀吉もいた。
秀吉「恵瓊、これ以上、戦を長引かせても、よくはない。信長様から和議の条件を見直せとも言われたのだ。」
恵瓊「信長殿から…で、どのような条件で?」
秀吉「5ヶ国の割譲と言っておったが、備中、備前、美作の3ヶ国に割譲と清水宗治の切腹が条件だ。」
恵瓊「3ヶ国!高松城の城兵の助命は?」
秀吉「うむ、宗治が切腹をするなら助命とする。ここらで決められよ。」
恵瓊は輝元の言葉を思い出し、
『3ヶ国の割譲なら毛利にとっても、いい条件だ。』
恵瓊は頭を下げ、
恵瓊「わかりました。この条件で和睦といたします。」
和睦が成ったことは、すぐさま毛利の陣にも伝わった。
輝元「織田と和睦が成ったぞ。」
隆景「3ヶ国とは…あれだけ強固だった秀吉が…いかなることか…」
元春「……納得がいきませぬ。宗治を失うことになるのだ…」
隆景「兄上、気持ちはわかりますが…家臣はその分をわきまえて戦っておるのです。兄上が切腹したら宗治は生きておりますまい。」
元春「……わしは助けたかった。」
6月4日、宗治は小舟で水上に出た。
「浮世をば 今こそ渡れ 武士の 名を高松の 苔に残して」
宗治は切腹した。
秀吉は宗治の切腹を見て、武士の鑑と賞賛した。
元春は、
「毛利を守った宗治、永遠に語り継がれようぞ」
その後、秀吉軍は陣を退いたが、毛利に驚愕の報せが入ったのである。
それは、本能寺の変であった…
つづく…
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