1970年10月のダイナマイトシリーズでの目玉、スパイロスアリオンの土壇場の来日キャンセルが起きました。
日本プロレスの妨害があって来日キャンセルされたんだよね
当初の予定ではアリオンはサンダー杉山とのIWA世界ヘビー級選手権でしたが、代替えカードとして発表されたのが、
ラッシャー木村
vs
ドクターデス
ドクターデスは覆面レスラーで正体はムースモロウスキーさんだね
遺恨のある2人の決着戦、普通のシングルマッチでなく、金網デスマッチでした。
日本で初の金網デスマッチだったのです。
この頃、国際プロレスを放送しているTBSのTWWAプロレス中継は視聴率が15%前後と低迷していたので、テコ入れの金網デスマッチだったのです。
試合は10月8日、大阪府立体育館で行われました。
ルールはノックアウトかギブアップ。ノックアウトの場合、相手をフォールした後、タイムキーパーが30カウント数え、その後、レフェリーが10カウントを数えて立ち上がらなければノックアウトとなるのです。
完全ノックアウトだね
試合は壮絶を極め、木村が17分22秒勝ったのです。
試合は録画中継され、10月14日にカラー放送されたのです。
金網デスマッチをテレビで見た人から「残酷だ!」と抗議が殺到し、TBSでは金網デスマッチの放送を封印しました。
古くは日本プロレスでブレッドブラッシーの噛みつきでショック死されたこともあってプロレス中継はモノクロ放送が続いてたんだよね。カラーになったのは、この試合の少し前なんだよ。
国際プロレスの吉原功社長は金網デスマッチはテレビでは見れないが会場に来れば見れると木村を金網デスマッチの鬼として売り出したのです。
しかし、全国のプロモーターから金網デスマッチ開催を要求され、結果、金網デスマッチの乱発となり、木村以外のレスラーも金網デスマッチを行うようになりました。
結果的に金網デスマッチはマンネリ化となり、団体の低迷に繋がり、さらには放送できないTWWAプロレス中継の低迷ともなるのです。
最初はいいけど何回も見ると飽きてきたんだね。それとテレビ放送できないからプロレス中継を見なくなってくるよね
この時期、ストロング小林は提携したAWAに遠征していました。
そのAWAから来日したレスラーが国際プロレスでチャンピオンになったのです。
つづく
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