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足利義昭
元春は自らの居城日野山城(ひのやまじょう)にいた。
わし(広家、この時点では名は経言[つねのぶ])は元春と剣術の稽古をしていた。
ガンッ!バシッ!
経言「うわっ!!」
わしは木刀を弾き飛ばされ、地面に叩き倒れた。
元春「経言!!もう終わりか⁉︎」
わしは木刀を拾い、立ち上がり、
経言「まだまだ!!」
元春「よし!かかってまいれ!!」
そこへ忍びの弥助(やすけ)が現れた。
元春は弥助の気を感じ、
元春「経言、今日はここまでだ。」
経言「父上、まだできまする!!」
元春「弥助と話がある。下がって休め。精進するのだぞ。」
その時、わしら弥助が来ているのを気づいた。
元春「宇喜多直家(うきたなおいえ)の動きはどうだ?」
弥助「東美作の後藤勝基(ごとうかつもと)を討伐してました。後藤が織田に通じていると討伐したようです。」
元春「後藤が?それは直家の虚偽であろう。」
弥助「はい、直家は美作を欲しています。さらに直家の元に織田方の忍びが出入りしております。」
元春「やはりか…弥助、直家の監視を怠るな。」
弥助「かしこまりました。」
元春の心配は当たったのだ。
天正7年(1579年)6月、直家の居城、石山城(いしやまじょう)で織田方の忍びと会っていた。
直家「…ほう、信長(のぶなが)公はわしに備前、美作をくれると…この約定、直家嬉しく思う。これより宇喜多は織田方に内応しよう。」
忍び「では、信長様にそのようにお伝え申す。」
宇喜多直家
直家は織田方の忍びがいなくなった後、
直家「動かぬ毛利では話にならぬ。播磨を我がものにすることもできぬ。ここは信長の力を借りるとしよう…元春、悪く思うな…ワハハハッ!!」
直家は毛利を離反したのだ。
離反はこれだけでなかった。同年9月には伯耆の南条元続(なんじょうもとつぐ)までが織田方に付いたのだ…
つづく…
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