猛将親父 〜第124話 毛利水軍の敗北〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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目次




天下を競望せず…

わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。



天正6年(1578年)11月6日、毛利(もうり)水軍600艘が木津川河口で見たのは、



※画像はお借りしました



「なんだ、あの船は⁉︎」


毛利水軍に属する村上水軍(むらかみすいぐん)の将、村上武吉(むらかみたけよし)は織田(おだ)方の船を見て驚いていた。



その船は安宅船(あたけぶね)に鉄板を貼った鉄甲船(てっこうせん)だったのだ。


武吉「鉄の船…知らんけど…かかれ!!」




毛利水軍は火矢を放ち焙烙玉を投げたが、鉄甲船には通じず…



織田方の水軍を指揮する九鬼水軍(くきすいぐん)の九鬼嘉隆(くきよしたか)は、


嘉隆「この鉄甲船にそんなものは通用せん!!討て!!」





ドーンッ!!


鉄甲船から大砲が一斉に放たれ、毛利水軍の旗船に命中、破壊されたのだ。



武吉「いっ、いかん!退け、退くのだ!!」




武吉はこれ以上の攻撃は不利とみて、毛利水軍は敗走したのだ。



これにより毛利は本願寺(ほんがんじ)に兵糧を運ぶことができなくなったのだ。





毛利水軍の敗走に毛利輝元(もうりてるもと)は衝撃を受けていた。


輝元「水軍が負けるとは…信長(のぶなが)と言う男は…しかし、別所長治(べっしょながはる)、荒木村重(あらきむらしげ)が籠城しておる。この状況に甲斐の武田(たけだ)が徳川(とくがわ)を攻め、上杉(うえすぎ)が上洛し、わしが再び東上すれば、勝てる!!」



「なりませぬ!!」


小早川隆景(こばやかわたかかげ)が大声を出した。


隆景「殿(輝元のこと)、何度も申したではないですか!!我ら毛利は動きませぬ!」


輝元「あちこちに謀反が起きてる状況の中、武田、上杉が動けば織田もひとたまりもあるまい。」


隆景「武田はかつての武田ではごさいませぬ。織田、徳川と戦う勢いはありませぬ。上杉は謙信(けんしん)公が亡くなり代替わりで跡目争いの後、上洛なぞてきませぬ。」


上杉謙信


コアラ謙信さんは天正6年3月に急死したんだよ



輝元「我らだけでも東上すれば織田に大打撃を与えられるぞ。」


隆景「殿…義昭(よしあき)公から副将軍の称号を頂いて毛利が天下を取ったとお思いか?」


輝元「なっ、何を…?」


隆景「すでに足利幕府(あしかがばくふ)に力はありませぬ。副将軍の称号なぞ意味ありませぬ。それに九州の大名にも織田の誘いが伸びております。」


輝元「なんと!」




九州の大友(おおとも)は織田方につき、さらに天正7年(1579年)1月には毛利方であった豊前松山城(ぶぜんまつやまじょう)の杉重良(すぎしげよし)が大友に寝返ったのだ。



毛利は杉を討ち取ったが、毛利は別所や荒木の期待に反して動くことはなかった…





つづく…



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