猛将親父 〜第123話 毛利東上せず〜 | 歴史を感じよう

歴史を感じよう

日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

前回まではこちら⬇️

目次




天下を競望せず…

わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。



上月城(こうづきじょう)落城後、毛利(もうり)軍は、東に進むことはなかった。

鞆の浦にいる足利義昭(あしかがよしあき)は毛利軍の東上を期待していたが…

足利義昭


義昭「毛利は動かぬと⁉︎輝経(てるつね)!あの事は伝えたのか⁉︎」


コアラ輝経って義昭さんの家臣の細川輝経(ほそかわてるつね)さんのことだよ


輝経「はい、輝元(てるもと)に伝えておきましたが…」


義昭「三木城(みきじょう)包囲の中、さらに摂津で騒ぎが起きれば、これ以上の機会はないぞ。なぜた…?」




義昭の言う摂津での騒ぎ…それは織田(おだ)方の摂津国、有岡城(ありおかじょう)の荒木村重(あらきむらしげ)が居城に帰り、信長(のぶなが)に対し謀反を起こしたのだ。


荒木村重

村重の謀反は羽柴秀吉(はじばひでよし)と共に三木城攻めに加わっていたが戦線離脱して、すぐの事であった。



三木城を攻めていた秀吉は驚愕した。


秀吉「何ぃ〜!?村重が謀反とな!」


秀吉に従っていた黒田官兵衛(くろだかんべえ)は、

官兵衛「いったい何が起こったのか…鞆の浦の公方(義昭のこと)あるいは毛利からの調略…殿(秀吉のこと)、わしが有岡城に行き村重殿と話をしてまいります。説得してきます!」


秀吉「今や敵になった村重ぞ。斬られてしまうぞ!」


官兵衛「大丈夫でございます。任せてください。」


黒田官兵衛


官兵衛は有岡城に入ったが、捕らえられ土牢に幽閉されてしまったのだ。







一方、輝元、元春、小早川隆景(こばやかわたかかげ)ら毛利軍は備中高松城(びっちゅうたかまつじょう)にいた。



隆景「兄上(元春のこと)、これよりはいかがしますか?」


元春「わしは但馬に入る。織田方が但馬からも攻めておるならの。隆景は?」


隆景「一旦、殿(輝元のこと)とともに安芸に戻ります。義昭公から本願寺(ほんがんじ)への兵糧搬入の依頼が来ております。」


輝元は不満げな表情をしていた。


輝元「叔父上…我が毛利軍が東上すれば秀吉ら織田軍を壊滅できるのではないか?なぜ東上しないのだ?」



元春と隆景は顔を合わせため息をつき、


元春「殿、我が父であり、殿には祖父の元就(もとなり)の遺言を覚えておられるか?」


輝元「…天下を競望せず…」


隆景「我が毛利は一国人から成り上がり急速にここまできました。されど領地の隅々、国人衆、民全てが歓迎しているわけではごさりませぬ。だからこそ先の尼子(あまこ)の残党に加担するもとがでてきたのです。」


元春「多くを望めば足元が見えなくなる…織田方が我が領地を侵すのなら戦います。しかし、これ以上の領地をこちらから攻めることはありませぬ。それが毛利なのです。」



このやり取りをわし(広家)は聞いていた。その言葉が後々、わしに強く影響しているのである。



元春は兵を整え、備中高松城から出ようとした。その時、城主清水宗治(しみずむねはる)が見送りに来ていた。


清水宗治


元春「宗治、備中高松城は重要な城。しっかりと守ってくれ。頼むぞ。」


宗治「かしこまりました。」



コアラ清水宗治、備中高松城…後に運命的な城となるね




天正6年(1578年)11月。


毛利水軍村上水軍(むらかみすいぐん)の船団が畿内を目指し瀬戸内海を進んだ。





これに対し織田方の九鬼義隆(くきよしたか)の九鬼水軍が現れた。



その船は鉄甲船だったのだ…





つづく…



コアラ最後までご覧になって頂き誠にありがとうございます😊宜しければ下⬇️のコアラのバナー(にほんブログ村にエントリーしています)をクリックお願いします🤲

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村