チャレンジ国際プロレスを語る〜IWAタイトル統一化 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

1969年5月、国際プロレスの事務所では1本の国際電話があり、盛り上がっていた。





コアラ吉原功社長が嬉しそうだね、それにしてもレスラーの皆さんのシャツ…ガラシャツばかりだな



5月18日にフランスはパリで行なわれたIWA世界タッグ王座決定トーナメントの決勝で豊登、ストロング小林モンスターロシモフ、イワンストロゴフに勝ち、チャンピオンになったのです。



コアラ左から2番目がロシモフさん…後のアンドレ・ザ・ジャイアントさんだね




小林にとっては初めての王座でした。


そして国際プロレス生え抜きのレスラーが初めてチャンピオンになったのです。



コアラ豊登さんもグレート草津さん、サンダー杉山さん、ラッシャー木村さんも日本プロレス出身なんだよね



吉原社長としては嬉しかったでしょう。






さらに、この時、吉原社長の目にモンスターロシモフが止まったのです。


ロシモフが来日するのは翌年のことです。





IWA世界タッグチャンピオンとして凱旋帰国した豊登、小林はビッグサマーシリーズで防衛戦を行いました。




大阪で行なわれた防衛戦の相手はオックスベイカー、スタン・ザ・ムース


スタン・ザ・ムースは後にムースモロウスキーの名で全日本プロレスに上がり、ジャンボ鶴田の日本デビュー戦の相手にもなりました。



この防衛戦はヘアバンドマッチとして行なわれました。


コアラ負けたチームのリーダーの髪を切られる試合だね



結果、豊登、小林が勝ち、負けた外人組はベイカーが髪を切られました。



切られたと言っても、髪の毛が少ないベイカー。



コアラどないやねん!




このIWA世界タッグ王座が日本にきて、もうひとつのタッグ王座、TWWA世界タッグ王座


チャンピオンはサンダー杉山、ラッシャー木村でしたが、ビッグサマーシリーズで防衛戦を行なった後…自然消滅したのです。




さらにヨーロッパタッグ王座もありましたが、こちらも封印されたのでしょう。



コアラそんなタイトルもあったね



さらにグレート草津が保持していた英国南部ヘビー級英国西部ヘビー級のタイトルも封印されました。


乱立していたタイトルをIWA一本にしたのです。





1970年になり、ついにあのレスラーが来日しました。






つづく



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