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織田信長(おだのぶなが)に京を追放されていた室町幕府、第15代将軍、足利義昭(あしかがよしあき)が動座してきた。
鞆の浦の前には紀伊国にいたんだよね
義昭には細川輝経(ほそかわてるつね)、柳沢元保(やなぎさわもとやす)らが随行していた。
義昭「皆、ご苦労だった。ここを我が再出発の地にする。」
元保「将軍様(義昭のこと)、なぜ鞆の浦なのですか?京より近い地もあるのでは?」
義昭「鞆の浦は我が祖、足利尊氏(あしかがたかうじ)様が光厳上皇(こうごんじょうこう)様から新田義貞(にったよしさだ)討伐の院宣を頂いた由緒ある場所なのだ。吉兆の地なのだ。」
足利尊氏
尊氏さんは光厳上皇に院宣をもらって後醍醐天皇(ごだいごてんのう)と争うことになったんだ
義昭「輝経、毛利(もうり)に使者を送るのだ。この地より進軍し信長を倒す!幕府を共に復興するのだ!!」
輝経「はい、吉川に使者を送りましょう。毛利一の猛将を手なずけましょう。」
義昭の書状は元春の元に来た。
元春は居城の日野山城(ひのやまじょう)に居た。
元春は長男、元長(もとなが)から書状を受け取った。
元長さんは天正元年(1573年)に元資(もとすけ)から改名したんだよ
元春「義昭が備後に入ったとは…」
元長「毛利は織田と同盟関係なのを知っているのに、毛利領に来るのは、よほど追い詰められているのでしょうか?」
元春「以前に恵瓊(えけい)から毛利の意図は伝えているはず。毛利に頼られても迷惑だと…」
元長「乱世を生き抜いて諦めることを知らぬ将軍なのでしょう。書状は父上宛てですか?」
元春「いや、殿(輝元のこと)宛てだ。わしに取り継いでほしいのだろう。」
元長「父上はいかがされますか?」
元春「義昭公を受け入れることは織田との全面対決となる。それは避けねばならぬ。我らは天下を目指すわけではないのだ。」
元春は元長を連れて吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)に入った。
吉田郡山城跡
義昭の書状について毛利家当主、輝元(てるもと)、小早川隆景(こばやかわたかかげ)や重臣と話し合った。
輝元「義昭公は織田がわしに対する逆心は明確だと申してある。そのために動座してきたともある。」
隆景「まったく身勝手な方だ。何の連絡もなく来られるとは…。兄上、いかが思う?」
元春「確かに迷惑な方だ。されど織田の行為は殿に対する逆心と言う義昭公の意見は的外れではない。尼子(あまこ)の残党や先に倒した三村(みむら)を支援しており、浦上宗景(うらがみむねかげ)をも支援しているのだ。」
輝元「うむ〜、ならば織田と戦うしかないのでは?」
隆景「その答えは早計です。」
皆、黙ってしまった。それだけ答えを出すのは難しかったのだ。
しかし、織田は毛利を包囲する動きをさらにしていたのだ…
つづく…
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