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織田信長
毛利は信長とは友好関係を保っていた。それが証拠に信長は元就の死後に弔問の使者を送っていたのだ。
阿波の三好氏(みよしし)を牽制する意味もあって毛利と織田は仲良くしてたんだよ
それが…
この人物…室町幕府第15代征夷大将軍・足利義昭(あしかがよしあき)のせいで毛利と織田は対立関係となったのである。
時は元号は元亀(げんき)から天正(てんしょう)に変わった年…
因幡国で尼子勝久(あまこかつひさ)、山中鹿介(やまなかしかのすけ)らの尼子再興軍が再び挙兵し、毛利方の国人衆を攻め制圧しつつあった。
尼子勝久
尼子再興軍は山名氏(やまなし)再起を目指す山名豊国(やまなとよくに)を味方に付け、因幡国の各地で連戦連勝と勢力を拡大していた。
天正元年(1573年)8月には毛利方の国人衆、武田高信(たけだたかのぶ)と尼子再興軍が激突した。
甑山城跡(こしきやまじょうあと)
甑山城(こしきやまじょう)の戦いと呼ばれる合戦で尼子再興軍は勝利し、勢いが拡大し高信の鳥取城(とっとりじょう)をも攻略したのだ。
しかし、毛利は尼子再興軍を支援していた山名豊国を懐柔し寝返らせ、1ヶ月余りで鳥取城を奪い返したのだ。
そんな頃、畿内では織田信長が足利義昭を京から追放したのだ。
信長「もはや足利幕府など必要ない。猿、そうであろう?」
信長が猿と呼ぶ男、それが後に毛利に深く関わることになる羽柴秀吉(はしばひでよし、後の豊臣秀吉)である。
羽柴秀吉
秀吉「はい!これからは信長様の世となりまする」
信長「義昭はどこへ行くかの?」
秀吉「紀伊…四国の阿波…あるいは中国の毛利かもしれませぬ。諦めの悪い男ですから。」
信長「毛利か…確か因幡で暴れている尼子の残党がわしに支援を求めてると柴田勝久(しばたかついえ)から聞いた。」
秀吉「そのようにございます。支援されますか?」
信長「毛利とは友好にしておきたいが…義昭と結び、大きくなり過ぎると厄介になる。密かに支援してやれ。」
秀吉「かしこまりました。」
一方、追放された義昭は毛利に使者を送っていたが、毛利方は信長との関係から断っていたのだ。
しかし、事態は対立へと向かっていくのである…
つづく…
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