1968年1月3日、日大講堂でのTBSプロレス(国際プロレスのこと)のメイン、ルーテーズvsグレート草津は3本勝負でありながら、テーズのバックドロップで2本目以降は草津の試合放棄となった。
草津さん、バックドロップで脳震盪を起こしフラフラで2本目以降、立ち上がれなかったんだよね
草津は控室に戻っても倒れたままでした。
テーズは後年語ったところによると、TBS側から草津に花を持たせてほしいと依頼を受けていたのだ。
テーズvs草津は4連続の挑戦で初回は引き分け、4度目で草津が王座奪取というアングルだったが、テーズはNWA王座を退いたとはいえ、全米を代表とするレスラー。
キャリア2年、しかも大した実績もない草津にテーズが合わせることは難しかったのだ。
1本も取らせなかったんだね
これを生中継していたTBSは顔色を失ったでしょう。
「秒単位でスターを作る」と言っていたが…いくら何でも練習をしない草津には無理があったと思います。
ブッカーのグレート東郷も草津には試合前から見切りをつけていたのだ。
草津のセカンドについていた東郷はバックドロップでフラフラの草津に「寝ていろ!」と指示をしたと言われています。
東郷の指示がなくとも草津は2本目はできなかったでしょう。
日本プロレスとの興行戦争は結果的に負けたがテレビの視聴率では日本テレビは36.3%、TBSは32.3%と大健闘したのです。
すげ〜、30%も今はそうそう取れないよ
TBSは草津路線を諦め、テーズとのタイトル戦、第2戦にサンダー杉山、第3戦に豊登と持ってきたのだ。
ところがここである企てを東郷が行なっていた。
それは…
大木金太郎の引き抜きであった。
つづく
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