前回まではこちら⬇️
現在の立花山山頂
豊前国って今の福岡県辺りだね
大友軍の陣にて大友宗麟(おおともそうりん)の元に尼子再興軍(あまこさいこうぐん)挙兵の報せが入っていた。
宗麟「尼子の残党の挙兵、今なら毛利を追い出す好機だな…おい!輝弘(てるひろ)を呼べ!」
宗麟は家臣にそう命じた。
大友宗麟
宗麟が呼んだ輝弘とは大内義興(おおうちよしおき)の弟、大内高弘(おおうちたかひろ)の子である。
大内高弘さんはかつて義興さんに謀反を起こし、敗れて豊後国に亡命したんだ
輝弘は大内氏最後の当主、義隆(よしたか)とは従兄弟の関係である。
輝弘「御館様(宗麟のこと)、輝弘まかりこしました。」
宗麟「輝弘、今、毛利は我が大友と対峙して動けぬ状態にいる。さらに山陰では尼子の残党が尼子再興のため動き出した。ここはそなたも大内氏の再興の好機だぞ。」
輝弘「大内の再興!!それは我が望みにございます。」
宗麟「輝弘が動けば大内の旧臣も再興に駆けつけるであろう。大友水軍で護衛するゆえ山口に渡るがよい。毛利は元就(もとなり)、元春、小早川隆景(こばやかわたかかげ)がこちらに釘付けで周防国の周辺は手薄だ。」
輝弘「ありがとうございまする!我が望み必ず叶えまする!」
大内輝弘は生粋の大内一族、輝弘の挙兵は大内が滅亡後、大内再興を望んでいた旧臣が待ちに待ったことであったのだ。
大内の旧臣は何度か再興の挙兵をしたけど、毛利に潰されていたんだ
輝弘は周防国への渡海のため動き出したのである。
これを見た宗麟は、
宗麟『これで九州から毛利を追い出せる…』
永禄12年(1569年)6月、尼子再興軍は隠岐国から船で島根半島に上陸し、近くの砦を占領し、そこから尼子勝久(あまこかつひさ)が尼子再興の檄を飛ばした。
出雲国に潜伏していた尼子の旧臣らが続々と集まり、3,000もの軍勢となったのだ。
ここにはかつて毛利軍の白鹿城(しらがじょう)攻めで敗北して逃亡した松田誠保(まつだまさやす)の姿もあった。
誠保さんは白鹿城が落城後、隠岐国に逃げていたんだよ
山中鹿介(やまなかしかのすけ)は集まった軍勢を見て、
鹿介「尼子を思う気持ちは皆、一緒だ!この勢いで月山富田城(がっさんとだじょう)を取り返す!!」
勢いのある尼子再興軍はかつて毛利軍が尼子の白鹿城を攻めた際に元春が陣を置いた新山城(しんやまじょう)を攻めた。
新山城を守っていた毛利方は敗走、尼子再興軍は新山城を奪取したのである。
さらに宍道湖(しんじこ)の辺りに新たな城、末次城(すえつぐじょう)を築き、ここを拠点としたのだ…
宍道湖
つづく…
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