チャレンジ国際プロレスを語る〜猪木さん抜ける | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

旗揚げパイオニアシリーズを終えた国際プロレスでしたが、莫大な借金を抱えてしまいました。


コアラ外人レスラー、東京プロレスのレスラーとギャラがかさみ、テレビ中継もないからだね




そんな時にテレビ中継を検討していたTBSから東京プロレスアントニオ猪木さんを国際プロレスに入団させることの要請がきました。



ところが国際プロレスの吉原功社長と猪木さんが旗揚げシリーズのギャラで揉めていたのです。


旗揚げシリーズには東京プロレスのレスラーが参加していましたが、豊登、田中忠治の2人は参加していませんでした。



コアラ豊登さんは猪木さんと東京プロレスで袂を分かって告訴合戦していたんだよね



東京プロレスは豊登、田中忠治の2人を含めた全選手が参加する条件のギャラが支払われるはずだったが、吉原さんは豊登、田中忠治の2人を除いたギャラを支払いました。


これに猪木さんが納得せず…結果、東京プロレスは国際プロレスと絶縁してしまったのです。



吉原さんにしても猪木さんにしても、経済的に厳しい時だったので絶縁するのは当然の結果だったのかもしれません。




その後、猪木さんは日本プロレスに復帰しました。



猪木さんの復帰の際、永源遙、北沢幹之、柴田勝久は一緒に行きました。


残りの木村政雄(後のラッシャー木村)、寺西勇、大剛鉄之助、マンモス鈴木、大磯武、竹下民夫らは国際プロレスに合流したのです。


斎藤昌典(後のマサ斎藤)はフリーとなり海外に渡りました。





国際プロレスは旗揚げシリーズ第2弾を予定していましたが、猪木さんが抜けたことでTBSはテレビ中継を保留。


吉原さんは旗揚げシリーズ第2弾を行なう目処が立たなくなりました。


コアラテレビ中継が先送りになってお金の目処がなかったんだね



吉原さんはなんとか開催資金を集め、さらに旗揚げシリーズでは参加しなかった豊登の参加が決まったのです。




これで旗揚げシリーズ第2弾の開催の発表がされました。





ここでアメリカで旗揚げシリーズに参加したエディグラハムが国際プロレスのNWA加盟申請を出したのです…






つづく





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