チャレンジ国際プロレスを語る〜TBS視察 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

1967年1月5日に旗揚げした国際プロレスでしたが、社長の吉原功さんは旗揚げ前からテレビ中継への動きを行なっていた。


コアラ旗揚げ興行は猪木さんの東京プロレスとの合同興行だったんだよね



吉原さんがテレビ中継をアプローチしていたテレビ局がTBSだった。


TBSはかつて力道山時代の日本プロレスを中継していたことがあった。


しかし、1957年の後楽園球場で行われた『ルーテーズvs力道山』の放映権を巡り、力道山とトラブルとなり撤退したのである。



コアラ『ルーテーズvs力道山』戦は日本テレビが中継したんだよね



吉原さんはTBSのプロデューサーの森忠大に話を持ちかけたのである。森忠大は吉原さんの高校時代からの長い付き合いがあったのだ。



1月18日の東京台東体育館大会に森プロデューサーは視察したのだ。


その日のメインは


NWA世界タッグ選手権


ヒロマツダ

アントニオ猪木

(王者)

vs

ジョニーバレンタイン

エディグラハム

(挑戦者)





森プロデューサーは猪木さんとヒロマツダを高く評価。しかし、TBSの上層部は力道山時代の件があり、なかなかテレビ中継にGOサインを出しませんでした。


しかし、当時は日本プロレス中継は高視聴率を稼いでおり、TBSは日本テレビの独占状態を崩すタイミングを図っていたのだ。


そんな時の国際プロレスの旗揚げであったのだ。





旗揚げパイオニアシリーズはマツダ、猪木組のNWA世界タッグの防衛戦が何度も組まれた。



さらにはダニーホッジの持つNWA世界ジュニアヘビー級選手権の防衛戦も行われている。


国際プロレスはNWAには未加盟だったがNWA会員であったエディグラハムとマツダの尽力でNWAの名の付くタイトルが行われたのである。


コアラこの時、日本プロレスもNWAには未加盟だったね




旗揚げパイオニアシリーズが終わったが、テレビ中継もなく、国際プロレスは早くも莫大な借金を抱えてしまった…





つづく





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