チャレンジ国際プロレスを語る〜吉原さん設立に動く | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

1966年10月5日に日本プロレスを退社した吉原功さんは新団体設立へ動きます。


コアラ吉原さんは日本プロレスでは取締役営業部長だったんだよね



吉原さんはヒロマツダを誘い、マツダも誘いに応じ参加することを決めました。




吉原さんは会社登記を済ませた後、日本プロレスを退団していた2人に誘いました。


その2人は、




コアラん?たくさん写ってるぞ


右上の杉山恒治と下の草津正武です。



そう、後のサンダー杉山グレート草津ですね。



2人は日本プロレスに入団が合わず退団していました。


草津はジャイアント馬場さんの付き人でしたが日本プロレスの体質に合わず退団。話によると、練習嫌いで日本プロレスでは4試合くらいしか出場していませんでした。


これがテレビ放送一回目での事件に繋がりますが、それは後々のこと…





吉原さんは杉山、草津を連れて渡米しました。そしてアメリカのフロリダマットとの提携に成功したのです。


フロリダマットは新たなプロモーターのエディグラハムでした。



マツダはエディグラハムの下の役員になっていたのです。


コアラフロリダマットもNWA傘下だね



外人レスラーのルートを確保した吉原さんは杉山と草津をレスラー修行のため、フロリダに残してマツダと共に帰国します。



そして10月24日に記者会見しました。



ここで国際プロレスの設立を発表しました。


コアラ国際プロレスの登場だね



外人レスラーのルートは確保していたが、日本人レスラーはマツダと新人の杉山、草津、そしてマツダの後輩で日本プロレスを退団したマティ鈴木しかいなかった。




マティ鈴木



この記者会見で吉原さんは旧来の団体運営ではなく、シリーズ毎にレスラーと出場契約をし、試合をするリングを提供するアメリカマットと同じフリーランスシステムを提唱したのです。


さらに吉原さんはこれを日本プロレスにも協力を呼びかけたのです。






つづく




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