チャレンジ国際プロレスを語る〜ヒロマツダフィーバー | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

海外で大活躍しているヒロマツダが日本に一時帰国し、日本プロレスの社長豊登と営業部長の吉原功さんが会いに行きました。


コアラヒロマツダさん、NWA世界ジュニアヘビー級のチャンピオンになったんだよね



ヒロマツダはここで日本プロレスに復帰を宣言。





日本プロレスは早速オファーをかけ、翌年の1966年5月にヒロマツダは日系レスラーのデュークケオムカと参戦しました。



デュークケオムカ


この頃、豊登は日本プロレスを退社して、新団体東京プロレスの旗揚げの準備をしており、日本プロレスとしてはヒロマツダを取られないように早めにオファーしたようです。



5月28日、ヒロマツダは吉村道明とタッグを組み、札幌でキラーカールコックス、ジョーカロロ組からアジアタッグを獲得しました。



この札幌大会のメインがアジアタッグでジャイアント馬場さんはセミファイナルだったのです。



さらに6月18日の川崎球場大会では再びヒロマツダ、吉村道明組にエディグラハム、サムスティンボード組が挑戦するアジアタッグがメインでした。


コアラ馬場さんはまたセミファイナルだったんだね




この試合でマツダは日本人初のジャーマンスープレックスホールドを披露しました。



コアラ裸足のチャンピオンカッコいいね



さらに7月の東京体育館大会ではダブルメインイベントでヒロマツダ、デュークケオムカ組にエディグラハム、サムスティンボード組が挑戦するNWA世界タッグ選手権試合が組まれました。


もう一つのダブルメインイベントは馬場さんのインターヘビー級王座にキラーカールコックスが挑戦した試合でした。




マツダ人気は馬場さんが霞むほどでした。



この頃、リング上とは別の争いが起きていました。


その争いで日本プロレスを退社したのが吉原功さんだったのです…





つづく




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