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天下を競望せず…
わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。
出雲に進軍する毛利(もうり)軍。
途中、九州の大友(おおとも)の対応で毛利隆元(もうりたかもと)が出雲遠征軍から離脱しました。
毛利軍は石見路から出雲に侵入。
出雲に入り、尼子(あまこ)方の国人衆を次々と服従させていきました。
永禄5年12月(1563年1月)、毛利軍は島根半島の宍道湖(しんじこ)北岸に本陣となる荒隈城(あらわいじょう)を築いた。
宍道湖
※画像はお借りしました
尼子方には尼子十旗(あまこじっき)と呼ばれる月山富田城の防衛線である10の支城があった。
尼子十旗は白鹿城、三沢城、三刀屋城、赤穴城、牛尾城、高瀬城、神西城、熊野城、馬木城、大西城だね
このうち赤穴城(あかなじょう)や三沢城(みさわじょう)などはいくつかの城は戦わずして毛利に降っていた。
毛利元就(もうりもとなり)は焦りはなかった。
元春「父上、月山富田城は目の前。早速攻めましょう。」
元就「元春、焦るな。焦れば、天文の時の敗走と同じようになりかねん。此度はじっくり攻めていくぞ。」
隆景(たかかげ)「尼子方の武将や国人衆が次々と従ってきております。しかし、まだ抵抗するものもおります。それを服従させるのですな?」
元就「うむ、今は月山富田城の補給路を絶つのが先決だ。」
元春「確かに。月山富田城を孤立させるのですな。」
隆景「ならば宍道湖界隈にある白鹿城(しらがじょう)を落としましょう。」
元就「うむ、じっくりと落としていくぞ。」
一方、月山富田城の尼子義久(あまこよしひさ)は焦っていた。
義久「毛利軍は近くまで来てしまったぞ!九州の大友は何をしておるのだ⁉︎」
家臣の宇山久兼(うやまひさかね)や山中鹿介(やまなかしかのすけ)は義久を宥めていた。
鹿介「大友はすでに我らに呼応し動き出しております。」
久兼「毛利は隆元が九州に向かっております。策どおりになっております。」
義久「しかし…尼子十旗は次々と毛利に従っておる。」
鹿介「殿、もうひとつ策をうちましょう…入れ。」
鹿介は1人の男を呼んだ。
鹿介「毛利は元就は老齢、当主の隆元が鍵を握っておりまする…」
義久「隆元がいなければ…」
鹿介「後は私にお任せください。」
九州では隆元が思惑通りに大友との停戦に動いていた…
つづく…
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