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元服したのは元春の長男、鶴寿丸(つるじゅまる)。
毛利隆元(もうりたかもと)の加冠により元服し、吉川元資(きっかわもとすけ)と名乗った。
元資さんは後に元長(もとなが)って改名するんだよね
元春も優(ゆう)も目を細めて喜んだ。
隆元「元春、吉川家に立派な後継ぎができたな。」
優「吉川ならず毛利の若武者にございます。」
隆元「おぉ、そうであるな。」
元春「兄上、九州の大友はまだ門司城(もじじょう)を諦めてないようですな。」
門司城跡
隆元「うむ、しかし我らが勝利しようぞ。元春も尼子(あまこ)の抑え、頼むぞ。」
それから4日後、元春、優、元資は日野山城(ひのやまじょう)に帰っていた。
そこへ忍びの弥太郎(やたろう)から驚くべき報せが入った。
元春「弥太郎…今、何と申した?」
弥太郎「一昨日のこと…尼子晴久(あまこはるひさ)が月山富田城(がっさんとだじょう)で急死しました。」
尼子晴久
元春「……晴久が…死因は何だ?」
弥太郎「しかとはわかりませぬが…病死と噂が流れています。」
元春「病死??昨年、月山富田城で相対した時は変わったところはなかったが……。」
弥太郎「今、月山富田城は厳重に守られていて忍び込む隙がありませぬ。何か異常事態を感じられます。」
元春「弥太郎、引き継ぎ月山富田城を見張るのじゃ。何か起こっているしか思えぬ。頼むぞ。」
弥太郎「はっ!」
晴久の急死の報せは元就にも届いた。
元就「晴久…わしより若いのに…今一度、旗本同士で戦いたかった…。」
その年、元就は門司城での戦いに勝利し、九州に支配を伸ばした。
そして、敗走した大友義鎮(おおともよししげ)は出家し宗麟(そうりん)と号した。
大友宗麟像
同年11月1日、優は男子を産んだ。
才寿丸(さいじゅまる)と名付けられた子…これが私、吉川広家である…
つづく…
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