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天下を競望せず…
わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。
弘治2年(1556年)初冬になり、元春は自らの居城、日野山城(ひのやまじょう)に帰ってきた。
元春は城に入るや否や、出迎えた妻の優(ゆう)に、
元春「優!でかしたぞ!」
優「殿、まずは…お帰りなさいませ。」
優は赤子を抱いていた。その赤子を元春は受け取り、
元春「おぉ、この子が我が子か…」
優「はい、元気な男子にございます。」
この赤子は幼名を宮松丸(みやまつまる)、後の元棟(もとむね)である。
元春「優、身体は大事ないか?」
優「はい、産後も丈夫にございます。殿、ところで…弥太郎(やたろう)が尼子(あまこ)方に与していたと…」
元春「うむ、まさかとは思ったが…尼子に与していることを隠して我らに近づいてきたのだ。」
優「……私は弥太郎に何かあったとかしか思えませぬ。」
元春「何かとは?」
優「弥太郎は私が助けた頃、家族思いの優しい子でした。確か妹がいました。」
元春「弥太郎のことは世鬼政時(せきまさとき)が調べておるが…妹か…そのことも政時に知らせておこう。」
元春は石見銀山のことは諦めず攻略のため、たびたび兵を送っていたが、尼子方に追い返されていた。
弘治3年(1557年)4月3日、周防長門を攻めいた毛利元就(もうりもとなり)は大内義長(おおうちよしなが)の自害でようやく蹴りをつけた。
大内氏、陶氏(すえし)を滅ぼし、元就は防長経略を完了させ、広大な領地を手に入れることになった。
元就は4月23日に吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)に凱旋した。
元就「厳島、周防、長門…長い戦いであった。ようやく郡山城に帰ってこれた。ここらがわしも退き際だな…」
元就は吉田郡山城に帰り、しはらくして元春、小早川隆景(こばやかわたかかげ)や家中の主な家臣を集めた。
元就は集まった一同を見回し、
元就「我が毛利は長い戦いの末、広大な領地を得た。…わしは、もはや60…本格的に隠居し、毛利の家督は隆元(たかもと)に譲る!」
元春も隆景も驚いたが、1番驚いたのは隆元であった。
元就「よいな、隆元。」
隆元「……ならば、私も隠居します。毛利の家督は我が子、幸鶴丸(こうつるまる)に譲ります!」
一同は騒ついた…。
つづく…
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