前回まではこちら⬇️
天下を競望せず…
わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。
「船は…いない…」
厳島の大江浦まで逃げきた陶晴賢(すえはるたか)は疲れていた。
晴賢には、僅かな近習が同行していた。その中の伊香賀房明(いかがふさあき)が、
房明「殿、まだ西に向かいましょう。迎えの船があるはず…」
晴賢「いや…もうよい。ここまで船がいないのは毛利(もうり)に付いた村上水軍(むらかみすいぐん)が我が船団を沈めたのだろう。」
陶軍の船を村上水軍が合戦開始とともに攻撃して、ことごとく沈めたんだよね
晴賢は空を眺め、大きく呼吸をした。
晴賢「房明、介錯を頼む。我が首は見つからないよう埋めよ。」
房明「殿!……わかりました。」
房明は涙が出ていた。
何を惜しみ 何を恨まん 元よりも この有様に 定まれる身に
晴賢は辞世の句を残し自刃した。享年35。
この句は現代文に言うと「こうして死ぬことは生まれた時より定められていた。今さら何を惜しみ、何を恨むことがあろうか。」だね
6時に開戦し、14時頃には終結していた。
毛利元就(もうりもとなり)は島に散り散りとなった陶軍の敗残兵を一掃すべく山狩りを命じた。
陶軍の敗残兵で、やっかいなのが弘中隆包(ひろなかたかかね)であった。
隆包は兵100ほどを率いて山中の駒ケ林に籠っていたのだ。
駒ケ林は標高509メートルなんだよ
元就は元春に弘中隊の討伐を命じた。
元就はできれば隆包を生かして味方にしたかったようだ。
吉川隊は弘中隊を包囲した。元春は隆包に呼びかけた。
元春「隆包!!大内義隆(おおうちよしたか)様に謀反を働いた陶は滅んだ。この上は我に身を預けてくれぬか⁉︎」
元春は元就の意を汲んでいたのだ。
隆包は、
隆包「今さら何を言うか!大内家を残すために戦った陶殿は謀反ではない。いずれ大内家を滅ぼす元就こそ真の謀反人になろう!…かかってまいれ!!」
元春も隆包の智勇を知っていたので、生かしたかった。しかし…
元春「…仕方あるまい。皆、かかれ!!」
弘中隊は激しく抗戦したが、隆包は10月3日に討死。弘中隊は全滅したのだ。
元春「……隆包殿」
元春は隆包の死を惜しんだ。
晴賢の首を探していた毛利軍は晴賢に仕えていた草履取りの少年を捕らえ、隠し場所を聞き出し発見した。
晴賢さんの首は桜尾城に運ばれて首実検をしたんだよ
元就は神域である厳島から死者を全て対岸に運び出し、島内の血が染み込んだ部分の土を削りとらせた。
さらに血で汚した厳島神社を全て潮で洗い流し清めさせた。
その後、神楽を奉納したんだよ
こうして、一国人領主だった毛利元就が戦国大名になった厳島の戦いが終わったのだ…
つづく…
にほんブログ村
宜しければバナー⬆️をクリックしてね