1972年9月9日、日本プロレスを離脱したジャイアント馬場さんは赤坂プリンスホテルで新団体設立の記者会見を行いました。
新団体名は、
全日本プロレス
おぉ、これが全日本プロレスの歴史の始まりだね
旗揚げ第一戦は10月21日、東京の町田市体育館。
その後、9月18日の記者会見には国際プロレスの吉原社長が同席。
国際プロレスと全日本プロレスは友好関係を結び、国際プロレスのサンダー杉山が全日本プロレスへ円満移籍の発表をしました。
さらに吉原社長は「若手レスラーの貸し出しの用意もある」と協力を強調しました。
これは日本人レスラー不足の全日本プロレスには有難い申し出でした。
続いて馬場さんは全日本プロレスに参加する日本人レスラーを発表しました。
大熊元司
マシオ駒
サムソンクツワダ
佐藤昭雄
元日本プロレスで引退していた藤井誠之
馬場さんと移籍してきた杉山を含め、日本人側は7人。
そして旗揚げシリーズの参加外人レスラーは、
ブルーノサンマルチノ
テリーファンク
ドリーファンクシニア
ブレッドブラッシー
ダッチサベージ
ドンテヌーチ
ジェリーコザック
サンマルチノと馬場さんは親友なんだよね
全日本プロレスは日本テレビで毎週土曜日20時からの放送が決定しました。
この時、NWAに加盟していなかった全日本プロレスでしたが、ドリーファンクシニアは自ら参戦し、後に全日本プロレスが加盟できるよう尽力しました。
一方、日本プロレスでは第3回NWAタッグリーグ戦が開催。
エースである坂口征二のパートナーには凱旋帰国した高千穂明久が抜擢されました。
高千穂さんが後のザ・グレード・カブキなんだよね
観客数は明らかに減っていたようです。
全日本プロレス設立において、馬場さんはなぜ坂口征二を誘わなかったのか?
もし、坂口が全日本プロレスに参加していれば…日本プロレス界の歴史は大きく変わっていたでしょう。
馬場さんはさらに新たな発表をしました。
それは力道山家(百田家)の協力だったのです。
つづく
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