猛将親父 〜第38話 水軍はまだか〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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目次





天下を競望せず…


わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。




天文24年(1555年)9月21日、陶晴賢(すえはるかた)率いる2万余の軍勢は岩国を出発し、500艘の船団で厳島(いつくしま)に向かった。



翌22日に陶軍は厳島に上陸した。



陶軍は宮尾城(みやおじょう)が見渡せる塔の岡に本陣を置いた。

※画像はお借りしました



晴賢「あのような城、一捻りしてしまえ!攻めよ!」



宮尾城の兵力は、わずか500。

城が落ちるのは時間の問題と思われた。

コアラ宮尾城の毛利軍は己斐直之(こいなおゆき)が城代として入っていたんだよね



陶軍の厳島上陸の報を受けた毛利元就(もうりもとなり)は兵を佐東銀山城(さとうかなやまじょう)から草津城(くさつじょう)に移した。



もちろん元春の吉川勢も草津城に入り、さらには水軍を率いる小早川隆景(こばやかわたかかげ)も合流した。


この時、毛利軍の兵は4,000、水軍の軍船は協力していた因島村上氏(いんのしまむらかみし)の軍船を加えても200艘にも満たなかったのだ。

コアラ村上水軍って3つあって、因島村上氏以外に能島村上氏(のしまむらかみし)、来島村上氏(くるしまむらかみし)があったんだよ



元就は隆景を呼び、

元就「隆景、能島と来島の村上水軍の来航はどうなった⁉︎」

隆景「ただいま我が家臣、乃美宗勝(のみむねかつ)が交渉しております。」

乃美宗勝


元就「早くいたせ!宮尾城はもたぬぞ!」

隆景「はっ!」




元春は隆景を心配した。

元春「隆景、実際のところ、村上水軍は来るのか?」

隆景「兄上…わしは来ると信じておりまする。」

元春「…隆景、そなたはわしに雪合戦で勝ったほどの智力の持ち主。わしが負けた戦は、そなたとの雪合戦のみだ。そんなそなたが来ると言うなら、わしも信じるぞ。」

隆景「雪合戦、幼少期の頃のことを…兄上、宗勝には村上水軍にこう伝えよと言ってあります。"一日だけ力を貸してほしい"と。」

元春「うむ、来航を待とう。」



27日になっても能島、来島の村上水軍は来ず。厳島の宮尾城は堀が埋められ、落城間近であった。

現在の宮尾城跡


元就は、

元就「これ以上、村上水軍を待っておられぬ!毛利、小早川の水軍だけで出陣する!」


隆景は元就の怒りが自分に向けられていると感じた。


そこで元春は、

元春「父上、もう1日だけ待ってくだされ。それでも来ぬ時は、わしと隆景で宮尾城救出に出陣しますゆえ!!」

元就「元春!!下がっておれ!」

元春「わしは隆景を信じておりまする!必ず来ます!!」


元春は元就の顔間近で言い放った。




28日、毛利軍は草津城を出て地御前まで進んだ。


「船団が来た!!」



隆景「来た!父上、来ましたぞ!」

元就「うむ、よくやったぞ!隆景。」

隆景「元春兄上、ありがとう!」

元春「なんの!わしはそなたを信じておる。」



300艘の村上水軍が毛利軍についたのだ…。






つづく…


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