新日本プロレス旗揚げだね
…ではありませんでした。
国際プロレスに参戦、あるいは海外マットに遠征…と噂が流れましたが、猪木さんは日本プロレス復帰をコミッショナーの椎名悦三郎に懇願したのである。
椎名悦三郎さんって政治家で自民党の副総裁を務めた人なんだよ
しかし、日本プロレスの選手会が猛反対し、猪木さんの復帰はならず…
猪木さんはマスコミを通じて、
「馬場は3分でKOできる!坂口は片手で3分で充分だ!」
と挑発した。
これを受けて、坂口征二は、
「俺は3分とは言わない、15分で猪木さんをKOしてやる!」
とエキサイトしていました。
ジャイアント馬場さんは、
「除名になった猪木など言わば野良犬。プロレスは街の喧嘩ではない。」
と冷静に一笑に付した。
挑発が猪木さんらしいね
猪木さんは山本小鉄、ユセフトルコらと共に新団体設立に動いた。
これが新日本プロレスである。
参加する日本人レスラーは猪木さん、山本小鉄、藤波辰巳、木戸修…この時点では4人だった。
猪木さんは自宅の庭に道場を作ったんだよね
新日本プロレスには海外遠征に出ていた魁勝司、柴田勝久も参加した。
外人レスラー招聘ルートは日本プロレスの妨害に遭い、アメリカのプロモーターからは門前払い。
結果、カールゴッチが協力してくれたが、ゴッチもアメリカマットでは顔が広くなく、有名なレスラーは来ませんでした。
さらにテレビ局も付かず、1972年3月6日大田区体育館で旗揚げしました。
一方、日本プロレスは猪木さんの抜けた穴は坂口征二で充分うめられると公言していました。
馬場さんの新しいパートナーが坂口。
このタッグは東京タワーズと呼ばれました。
東京タワーズはザ・ファンクスに奪われていたインタータッグを海外で奪取したのです。
当時、高い建物と言えば東京タワー🗼だったからね。馬場さんも坂口さんも大きいもんなぁ
これで安泰と思われた日本プロレス、しかし抗議する組織がありました。
それがNET(現在のテレビ朝日)でした…。
つづく…
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