1971年12月13日、代官山の日本プロレスの事務所で緊急記者会見が行われた。
日本プロレス側には協会長の平井義一、社長の芳ノ里、選手会長の大木金太郎が出席し発表が行われた。
平井義一さんって衆議院議員なんだよ
アントニオ猪木追放!!
選手会による猪木除名決議が出され、猪木さんを日本プロレスから除名、追放されたことが発表されたのです。
これを受けて、
集まっていた選手らが…
ビールで乾杯をしたのです。
う〜ん…
この場にはジャイアント馬場さん、上田馬之助、山本小鉄はいませんでした。
さらにビール乾杯に若手だった藤波辰巳は同席しなかったのです。
同じく若手の木戸修さんも乾杯には参加しなかったんだよ
坂口征二は、内容をよくわからず、乾杯に参加していたようです。
この翌日、猪木さんは参謀であった木村氏と共に反論の記者会見を開きました。
猪木さんは改革の正当性、途中で手を引いた馬場さん、上田を非難し、さらには日本プロレスを商法違反で訴える準備があると反論したのである。
当事者である馬場さんは猪木さんの反論記者会見の日にアメリカ遠征に出かけたのだ。
馬場さんはジョントロスと組んでマサ斎藤、ギンジ渋谷と金網デスマッチで対戦したんだよね
ここで馬場さんは雑誌ゴングの記者の取材を受け、
「私は猪木を裏切ったとは思わない。確かに猪木の言うように最初は一緒に改革しようと手を握り、盟約書、趣意書にもサインをした。しかし、盟約、趣意に反していったのは猪木の方ですよ。木村さんという第三者が介入してきて猪木のやり方に疑問を持った。それは我々の趣意に合わないものとわかったので私はやれないと言った。猪木の会社私有化の野心が私以上に猪木と密着していた上田の証言ではっきりわかった。裏切ったのは猪木ですよ。」
馬場さんがクーデター事件で公式に話したのは、これのみで、のちは一切話しなかったのである。
馬場さんとしては嫌な事件なんだね
猪木さんの改革はなぜクーデターになり失敗したのか?
猪木さんの知らないところで木村氏が動いたからだと思います。それが各選手からの不信感になったのです。
これは猪木さん自身も後年にそう発言しています。
この後、馬場さんは信用第一とし慎重になり、猪木さんはスキャンダルなことが起きる(起こす?)ようになりました。
つづく…
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