1971年12月7日、アントニオ猪木さんの日本プロレス除名に揺れ動く中、札幌中島体育センターでタイトルマッチが行われました。
おぉ、タイトルマッチの調印式かな。右からテリー、マードック、ドリー。1人挟んで馬場さん、猪木さん、吉村道明さんだね。
行われたタイトルマッチは、
インターナショナルタッグ選手権
60分3本勝負
ジャイアント馬場
アントニオ猪木
(チャンピオンチーム)
vs
ドリーファンクジュニア
テリーファンク
(挑戦者チーム)
前年にも行われたカードで、その時は2-0で馬場さん、猪木さんのBI砲のストレート勝ちでした。
しかし、今回は猪木さんの会社乗っ取りが発覚した後で馬場さんと猪木さんの仲は最悪な状況。
タッグに必要なコンビネーションなどなく、バラバラで戦ってるようでした。
馬場さんの猪木さんを見る目が…冷たい
バラバラなBI砲がザ・ファンクスに叶うわけもなく、1本目は猪木さんがドリーにあっさりフォール負け…2本目は馬場さんが32文ロケット砲で、テリーからフォール勝ち。
3本目は、
孤立した馬場さんにファンクスが攻め、テリーがダブルアームスープレックスを決めてフォール勝ち。
インタータッグはザ・ファンクスに渡り、海外流出となったのです。
BI砲は今まで負けても、すぐ国内で勝ってタイトルを取り返していたんだよね
これが日本プロレスでのBI砲最後の試合、最後のインタータッグ、猪木さんの最後の試合となったのです。
試合後、猪木さんは山本小鉄とともに日本プロレスの選手会とは別のホテルに宿泊。
そして翌日8日、
猪木さんは都内の病院に緊急入院。その後のシリーズの試合を欠場しました。
これは猪木派のユセフトルコが選手からの襲撃があるかもしれない措置でした。
襲撃って…物騒な…
猪木さんは大阪大会でドリーのNWA世界ヘビー級選手権に挑戦予定でしたが、欠場…代わりに坂口征二が挑戦しました。
坂口征二さん、頑張ったけど、結果は2-1でドリーの勝ちなんだよね
シリーズが終わり、12月13日…
日本プロレスは猪木さんを日本プロレスから除名、追放を発表したのです。
つづく…
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