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天下を競望せず…
わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。
天文19年(1550年)、元春は新たな城、日野山城の築城に忙殺されていた。
元春は築城現場に出て、鼓舞していた。
そこへ家臣の福原元正(ふくはらもとまさ)が慌ててやって来た。
元正「殿!殿!」
元春「どうした、そんなに慌てて。何があった?」
元正「一大事にございます!大殿(元就のこと)が井上元兼(いのうえもとかね)と一族30人を粛清しました!」
元春「!!!……やはりか…」
元正「殿は知っておられたのですか?」
元春「いや…いずれは粛清するだろうとは思っていた。井上一族は父上(元就のこと)が幼少の頃、所領を横取りされたりなど積年の恨みがあったのだ。さらには元兼の専横に家中の皆も苦々しく思っていたからな。」
井上元兼と井上一族は毛利家の財政面を支えていた。さらに毛利元就(もうりもとなり)が毛利家の家督を継ぐ時に尽力したのだ。
『元就を支えた、毛利家の今があるのは我らのおかげだ』と元兼には奢りがあり、毛利家の評定、行事に出ず、専横を極めていたのだ。
元就『吉川家、小早川家が毛利家の力になった今、家中を乱す井上一族は必要ない!」
元就は家臣の福原貞俊(ふくはらさだとし)、桂元澄(かつらもとづみ)が300騎余りの兵を率い、元兼の館を襲い、元兼は自害。
他の井上一族も誅殺され、30余名が粛清されたのだ。
ただし、元就らが山口に下向した際に元就を看病した井上光俊(いのうえみつとし)や井上一族の長老で恩のある井上光兼(いのうえみつかね)らは助命しているのである。
元春は日野山から遠くを眺めながら、
元春「これで家中はひとつになったな。」
元正「家臣団は毛利家に対して忠誠を誓う起請文を出しました。」
元春「それでよい。しかし、家中で血を流すのは、これで最後にせねば…家中の争いは家を滅ぼすからの…」
家中の争い…それの争いが毛利家に降りかかってくるのは間近だった…
つづく…
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