1967年5月に日本プロレスに復帰したアントニオ猪木さん。
当時、日本プロレスはジャイアント馬場さんがエース。
猪木さんは復帰してナンバー2の立場になりました。
BI砲の誕生だぁ〜
さらに柔道界から坂口征二がプロレスに転向しました。
坂口さん若い〜
猪木さん復帰に面白くないのが…
大木金太郎と思われます。
猪木さん復帰で馬場さんに次ぐ地位から外されたんだ
大木金太郎は馬場さん、猪木さんと力道山道場三羽烏と言われていました。
馬場さん猪木さんより1年先輩の大木でしたが、2人に対するライバル意識は高いものだったのでしょう。
こんな大木に手を伸ばしたのが、かつて日本プロレスのブッカーをしていたグレート東郷でした。
力道山時代にはレスラーとしつ日本プロレスのリングにも上がっていたんだよね
東郷は国際プロレスのブッカーをしていました。
国際プロレスはTBSで中継放送が始まりましたが、日本人レスラーがルーテーズに惨敗しており、東郷は大木に目をつけたのです。
テーズさん、グレート草津をKOしたんだよね
「ルーテーズに挑戦させてやる!」
東郷の誘いに日本プロレスに不信感を抱いていた大木は二つ返事で承諾したのです。
大木は日本プロレスに辞表まで出しましたが、寸前で大物人物に説得され断念したのです。
そして何事も無かったかのように日本プロレスのリングに上がり続けました。
この大木が後の日本プロレス崩壊に大きく関わってくるのです…
一方、大木獲得に失敗したグレート東郷は法外なブッカー料をTBSに請求し、国際プロレスから縁を切られたのです。
日本プロレスからも国際プロレスからも縁を切られた東郷。
しかし、東郷は日本進出を諦めていませんでした。
これが日本プロレス2局中継に繋がっていくのです…
つづく…
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