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天下を競望せず…
わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。
天文12年(1543年)5月、月山富田城(がっさんとだじょう)から撤退した毛利元就(もうりもとなり)が吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)に帰ってきた。
次郎(じろう、後の元春)は元就を居間に運ぶと、美し(よし)や隆元(たかもと)らが集まってきた。
隆元「父上、心配しました。」
元就「…帰ってこれた……隆元も無事で何よりだ。」
美しは涙を流していた。
元就「死を覚悟したが…渡辺通(わたなべかよう)がわしを諌め、わしの兜を被り、身代わりになった…通のおかげで、わしは生き延びた…。」
元就「吉田の地に入って安心した。城がしっかり守られておったな。」
美し「次郎が殿や隆元がいない間、城の守備を強化しておりました。」
元就「次郎がやりおったか。よくやったぞ、次郎。」
次郎「いいえ、父上や兄上のご苦労に比べれば、当然のことにございます。」
そう言う次郎は照れていたようだ。
その夜、元就は隆元、家臣の志道広良(しじひろよし)と話し合った。
元就「此度の戦は惨敗だ。」
隆元「…これで大内(おおうち)を見限る国人衆が多くなるのでは…」
元就「憎いのは吉川興経(きっかわおきつね)だ。」
広良「興経が尼子(あまこ)から大内に鞍替えした時、間を持ったのは殿だったのに…騙していたとは…」
元就「吉川はいずれは討つ…これからは我が毛利家を強化せねばならぬ。その為には毛利も、もっと海に出ねばならぬの。」
隆元「水軍の強化…と言うことですね。」
元就には、この時、毛利を支える両川(りょうせん)体制のことが頭にあったか?
元就「ところで此度の次郎の城の守備は見事であった。」
広良「もう立派な武将にございます。」
隆元「元服ですな。」
元就「うむ、次郎を元服をさせよう。」
その年の8月、次郎は晴れて元服した。
元就「次郎、そなたは毛利の武士だ。名を与える。これより元春(もとはる)だ。」
次郎は毛利元春となったのである…
つづく…
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