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天下を競望せず…
わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。
「興経(おきつね)が裏切ったと!?」
天文11年(1542年)4月末、尼子(あまこ)の月山富田城(がっさんとだじょう)を攻めていた大内(おおうち)軍だったが、味方の吉川興経(きっかわおきつね)、三刀屋久扶(みとやひさすけ)、三沢為清(みさわためきよ)、本城常光(ほんじょうつねみつ)が尼子方に寝返ったのだ。
これを聞いた吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)の美し(よし)は驚愕し倒れてしまったのだ。
次郎(じろう)は母、美しの枕元にいました。
次郎「母上、大事ありませぬか?」
美し「…大丈夫です…あれほど大内様に従っていた興経が寝返るとは…」
美しは吉川家出身、それだけに興経の行動は美しの心労に繋がっていたのだ。
次郎「母上、父上(元就)や兄上(隆元)が心配です。わしが迎えに行きたいのですが…」
美し「なりませぬ!2人とも覚悟の上の出陣です。そなたの役目はこの城を守ることです。」
次郎「されど、2人が討たれば…毛利家は…」
美し「次郎、なぜそなたの出陣が許されなかったか、わかりますか?万一のことを考えてのことです。」
次郎「万一の…此度のようなことの為に?」
美し「万一…2人が討たれたら、毛利家を守るのはそなたなのです。ぐふっ…」
次郎「母上、もうお休みください。」
次郎は美しを休ませた後、家臣らに命じ吉田郡山城内の守りを強化したのだ。
5月7日、大内軍は撤退を決め、毛利軍は殿(しんがり)となった。
尼子軍の追撃は激しいものだった。
大内軍は多くの家臣が討死、さらには大内義隆(おおうちよしたか)の養子、大内晴持(おおうちはるもち)をも失った。
次郎は吉田郡山城を守りながら、日々、城の見張り台で元就(もとなり)や隆元(たかもと)の帰還を待っていた。
次郎「…あれは…兄上!」
見張り台から隆元の姿を見つけた次郎は、すぐさま門から走り抜け、隆元に駆け寄った。
次郎「兄上!兄上!」
隆元「次郎、ただいま戻ったぞ。」
次郎は泣きじゃくっていた。
隆元「次郎、男が泣いてはいかぬぞ。ところで父上は戻っておるか?」
次郎「いえ、まだ帰っておりませぬ。兄上とご一緒ではなかったのですか?」
隆元「こんな場合、2人一緒で逃げてはならぬのだ。父上がどちらかが生き残るために別々に分かれたのだ。」
次郎「父上…」
それから2日経ち、3日経っても元就は帰ってこなかった。
次郎は見張り台でずっと元就の姿を探していた。
1週間経ち…
次郎「……ん、あれは…父上!父上が帰ってきた!父上だぁ!」
元就が帰還したのだ…。
つづく…
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