日本プロレス崩壊は猪木さんの追放から始まっていますが、その前に…
猪木さんが追放されて日本プロレスが崩壊するまで、1年ちょっとだね
崩壊のタネは、もっと前にできていたと思います。
力道山死後の日本プロレスは、社長に豊登とし、芳の里、遠藤、吉村の4人のトロイカ体制で始まりました。
右側から芳の里、豊登、遠藤、吉村だね
エースは豊登でしたが、帰国した馬場さんが人気もファイトも台頭してきました。
ちなみに猪木さんは力道山の死後に、ようやく海外武者修行に出ることができました。
いろんな資料を見ると、豊登、芳の里、遠藤、吉村の4人の体制の頃から放漫経営が始まっていたようです。
その中で豊登はギャンブルにハマり、会社のお金をギャンブルにつぎ込むと言うとんでもない行為をしていたのです。
1966年1月、日本プロレスは豊登の社長辞任を発表。
表向きは体調不良でしたが、実際は公金横領による解任でした。
日本プロレスから追放された豊登は猪木さんを引き抜き、旗揚げしたのが東京プロレスでした。
豊登さんはハワイで猪木さんを「新しい団体のエースで社長にしてやる」と口説いたんだよね
猪木さんは、馬場さんとの差が開くことに焦りがあったようで、そんなところに豊登の誘いがあったのです。
猪木さんは既に馬場さんとの対立心を持っていたのですね。
東京プロレスの旗揚げ興行は蔵前国技館で行われ、
猪木さんはジョニーバレンタインを破っています。
おぉ、アントニオドライバーだぁ
旗揚げはまずまずでしたが、その後の経営は厳しくテレビ局が付くこともなく、早々に悪化し始めました。
経営が悪化しているのに豊登は資金をギャンブルに使っていたのです。
つづく…
にほんブログ村
宜しければバナー⬆️をクリックしてね